しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <みな一つとなるために ヨハネ17:21から>

2015-03-15 | みことば静想

寒牡丹「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」(ヨハネ17:21)

主イエスが11弟子たちを前にして最後にささげた祈祷がヨハネ17章である。ここで主が天の父に求めていることは、三つにまとめられる。第一は弟子たちが一つになること。第二は真理によって聖め別たれること。第三はイエスのいる所に共にいるようになること、の三つである。

しかして、これら三つは結局ひとつにまとめることもできる。それは、父、御子、御霊の神が一体であるように、彼らも一体にされ、父、御子、御霊の交わりに入れられ、神の家族として組み込まれることである。これ以上すばらしい交わり、神と人との愛における一致はないといってよい。

が、この二千年間、教会は御霊による完全な一致からは程遠い歩みをしてきた。教会が生まれた最初の一時期、愛による完全な一致があったが、それもなくなり、分裂と争いを繰り返してきたのが、残念ながら教会の歴史であった。そして21世紀の現在も、その傾向はますますあらわになっている。しかしだからといって、一致をあきらめてしまってよいのか。▼17章で祈られた主の御思いは、今も天上におられる大祭司・主のそれであることは疑う余地がない。とすれば、私たちは地上に置かれている間、どこまでも「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい」(エペソ4:3)との使徒の勧めを追い求めていかなければなるまい。再臨の日における完成を心に描きながら。  [写真:寒ぼたん・戸川寒]