「ことばを控える人は知識を持つ者。霊において冷静な人は英知のある者。」(箴言17:27新改訳)
人は霊、魂、体から成るが、霊は神と交わることができる部分である。したがって、霊において冷静とは、人格のもっとも深いところで常に主の御声を聞き、奪われない平安を持つ状態をいうのであろう。▼主イエスは捕縛され、総督ピラトの前に引き出されたときでも泰然自若、どちらが裁く側かわからないほど落ち着いておられた。それにはピラト自身が驚いた、とある。前夜ゲッセマネで苦祷し、悪魔に完全勝利された主は天の平安に満ち、さながら明鏡止水の境地であられたに相違ない。▼本当の英知とは、多くの書物から学び、情報や知識にあふれているということではない。父なる神の御顔を仰ぎ、その声に聞き従われた主のように歩むことを指している。それが聖書のいう知識人なのである。▼王ソロモンはあらゆる知恵に満ち、世界中からその知恵を聞こうとエルサレムに人々が集まって来たという。だが栄華は長続きせず、晩年はあわれなものであった。一本の野百合にも及ばない「この世の華やかさ」に惑わされてはならない。十字架を負われたお方に従おう。「南の女王が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし見なさい。ここにソロモンにまさるものがあります。」(マタイ12:42同)
<きのうもきょうもとわに>
①昨日も今日も永遠に変わりなき イエスのみことばの慕わしさ ゆるしと癒しを今日もなお イエスは変わりなく与えたもう
②われも汝が罪を裁きせじ 再びせざれと宣給いし やさしき声もて罪びとを イエスは変わりなくゆるしたもう
③信仰の手をもて御衣に さわりし女を立たしめし 癒しの力を誰にても イエスは変わりなく示したもう
④この世にふたたび来たるまで エマオの途上にありし如(ごと) 我らの傍(かたえ)を歩みつつ イエスは変わりなく語りたもう
*折返し*
よし世のすべては変わるとも 変わりなきイエスに栄えあれ 栄えあれ 栄えあれ 変わりなきイエスに栄えあれ
<聖歌602 詞:A.B.Simpson,1890>