「彼は父ヒゼキヤが打ち壊した高き所を築き直し、イスラエルの王アハブがしたように、バアルのためにいくつもの祭壇を築き、アシェラ像を造り、天の万象を拝んでこれに仕えた。」(Ⅱ列王記21:3新改訳)
名君だったヒゼキヤ王の子マナセはユダ16代目の王だったが、ヒゼキヤの行った宗教改革と善政(ぜんせい)をみなくつがえし、はなはだしい悪政(あくせい)を行った。▼理解に苦しむが、原因として考えられるのは意志が弱く、側近(そっきん)たちの不信仰なすすめにしたがって偶像礼拝に走ったことである。わずか12歳で王位に就(つ)いたのだから、よほどしっかりした性格でなければ、父の生き方を固く守ることはむずかしかったのであろう。マナセを守るべき母ヘフツィ・バハも、意志と信仰の強い人ではなかったと思われる。▼とにかく、モーセ律法にしたがって忠実に歩む生き方は不敬虔な人々に嫌(いや)がられ、ユダ王国はヒゼキヤ路線(ろせん)を捨ててしまった。この頃から王国の凋落(ちょうらく)はもはや止められなくなり、亡国(ぼうこく)への道を急速に落ちていった。支配者が毅然(きぜん)とした態度で信仰をつらぬく大切さを、つくづく思わせられる。