「あなたの神、主が、あなたを救い出し、敵をあなたに渡すために、あなたの陣営の中を歩まれるからである。こうして、あなたの陣営は聖でなければならない。主があなたの中で恥ずべきものを見て、あなたから離れ去ることのないようにしなさい。」(申命記23:14新改訳)
陣営を教会と読み替えると、このみことばは私たちにとって非常に意味深いものになる。▼教会は人々のたましいを悪魔から取り返すため、いつも世の力と戦っており、そこにもっとも必要とされるのが聖きであることはいうまでもない。なぜなら御聖霊はその名のように聖であられ、私たちが主の血潮により潔き歩みを続けているところに、喜んで働き給うお方だからだ。▼イスラエル軍はエリコを攻めた時、神の大いなる奇蹟のうちに大勝利を博した(→ヨシュア記6章)。ところが次のアイ攻略では、最初に惨めな敗北をなめたのである。原因は陣営の中に盗みの罪が持ち込まれたからだった。教会とキリスト者個人もこれと同じで、御霊が共に喜んで歩んでおられなければ、決して世に勝利することはできないであろう。▼「わたしは、あなたの行い、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。また、初めの行いにまさる、近ごろの行いも知っている。けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは、あの女、イゼベルをなすがままにさせている(容認している)。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて惑わし、淫らなこと(性的悪徳)を行わせ、偶像に献げた物を食べさせている。わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は淫らな行いを悔い改めようとしない。見よ、わたしはこの女を病(苦悶)の床に投げ込む。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めないなら、大きな患難(苛烈な苦しみ)の中に投げ込む。また、この女の子どもたち(彼女のほんとうの信奉者たち)を死病で殺す。こうしてすべての教会は、わたしが人の思いと心を探る者である(思想と感情と意志と最も奥深い心情を探る者である)ことを知る。」(黙示録2:19~23同、カッコ内は詳訳聖書)