「あなたの死体は空のすべての鳥と地の獣の餌食となり、しかも、これを追い払う者もいない。」(申命記28:26新改訳)
イスラエルが神を捨てた時、いかに悲惨な結末を迎えるかを詳述したのが15~68節。▼BC580年代、バビロン軍が聖地を占領したとき、このみことばどおりの光景になったことが詩篇79篇に記されている(1~3)。また主イエスはエルサレムのために、幾度も泣かれたが、ローマ軍が反乱を鎮めようとパレスチナを占領した際も、おなじようになった(AD70年代)。見せしめのため、死骸を埋葬することが禁じられたので、死屍累々、国中に腐臭が満ちたと記録されている。それは表現できないほどの惨状であった(26)。▼イエス・キリストのあがないにより提供された永遠の救い、これをあくまで拒むなら、その結果はこのようになる。もうしばらく恵みのとき、救いの日は続くであろうが、いつまでもそうではない。だからすべての人は心を閉ざすことをやめ、差し伸ばされている愛の御手をしっかり握らなければならない。◆主がゴルゴタの刑場に向かう時、多くの女性たちが泣きながら後をついて行った。あまりにも惨めなイエスの姿を見て、同情の涙があふれたのである。だが主は「娘たちよ、わたしのために泣くのではない。もっとはるかに悲惨なことがあなたたちの子や子孫にふりかかるのだ」と言われた(→ルカ23章)。私たちは主のおことばの重さをよく心に刻みつけなければならない。イエス・キリストはユダヤ人だけでなく、全世界の人々、しかもあらゆる時代の人々に言われたのだ。そのような終末のとき、形容する言葉もみあたらないほどの悲しみと苦しみの時代が来るのだ、ということを。◆ヨハネ黙示録にはそれが描かれる。淡々とした筆致で記されているため、多くの人々は注意をはらわない。「これは黙示文学だから」、「すべては象徴にすぎない」、「文字通り受け取る必要はない」と、わけ知り顔で言う人々も多い。だが、神はハッキリ言っておられる。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる」(21:5同)と。だから与えられた短い人生の中で、心の準備をすべきである。いつ神の審判の座に出ても後悔をしないように。