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しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 申命記14章 <手のわざを祝福してくださるため>

2015-05-05 | 申命記

真紅のバラ「あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。」(29新改訳)

主イエスは、「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます」(ルカ6:38同)と言われたが、これは旧新約聖書をつらぬく愛の精神である。

モーセはイスラエル人に、三年ごとに収穫の十分の一を差し出し、それを町に積み上げることを命じた。そうすれば、レビ人など弱い立場の人々が自由に食べ、満ち足りることができる。結果として、ささげた人に天からの祝福が注がれることになる。

神の前に富むということは、他者への愛のわざに生きることにほかならない。なぜなら、神の愛はそのような本質をもっているからだ。収穫を独り占めしようとした金持ちは、その夜急死した。(→ルカ12:16~21)▼自分の財を自分のためにだけ用いるのは、正当な権利にみえるが、神の前では罪である。


朝の露 申命記13章 <ひそかにあなたをそそのかして>

2015-05-04 | 申命記

rose「あなたと母を同じくするあなたの兄弟、あるいはあなたの息子、娘、またはあなたの愛妻、またはあなたの無二の親友が、ひそかにあなたをそそのかして、『さあ、ほかの神々に仕えよう』と言うかもしれない。これは、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった神々で、」(6新改訳)

本章は十戒の第一戒、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」(出エジプト20:3同)を詳細に説明したもの。

モーセは、これからカナンに入って行こうとしている第二世代に、神の民として唯一神信仰に生きることが、どんなに大切かを解き明かした。たとえ兄弟、最愛の妻、無二の親友であっても「さあほかの神々に仕えようではないか」と言ったなら、即座に彼を殺さなければならない、というのである。

もちろんキリスト者は、他者を殺してはならないが、信仰においてはこの厳しさをゆるめてはならない。なぜなら、自分自身の永遠の運命がかかっているからだ。多神教と汎神論の国・日本にあって、私たちは信仰の戦いを余儀なくされているが、永遠を目指し、雄々しく進ませていただきたいものである。


朝の露 申命記12章 <御名を住まわせるために選ぶ場所>

2015-04-30 | 申命記

面白い造形「あなたがたの神、主が、御名を住まわせるために選ぶ場所へ、私があなたがたに命じるすべての物を持って行かなければならない。あなたがたの全焼のいけにえとそのほかのいけにえ、十分の一と、あなたがたの奉納物、それにあなたがたが主に誓う最良の誓願のささげ物とである。」(11新改訳)

約束の地に入ったとき、イスラエルは一つの場所を決め、そこで犠牲をささげて礼拝するように命じられた。最初はシロだったが、ダビデのとき、最終的にエルサレムが選ばれた。今でもユダヤ人たちが、エルサレム神殿の再建を熱望しているのは以上の理由からである。

しかし私たちキリスト者は、「主が、御名を住まわせるために選んだ場所」とはイエス・キリストご自身であることを知っている。じつにこのお方こそ、まことの活ける神殿であり、御父のお住まいになる場所だ。▼しかも主イエスはキリスト者ひとりひとりの内に聖霊によって住まわれ、そこを宮としておられる。パウロが言う「いま神の聖徒たちに現わされた奥義」(コロサイ1:26同)とはこのことである。


朝の露 申命記11章 <ゲリジム山には祝福を、エバル山にはのろいを>

2015-04-29 | 申命記

ふじ「あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れたなら、あなたはゲリジム山には祝福を、エバル山にはのろいを置かなければならない。」(29新改訳)

山にのろいと祝福を置くとはめずらしい表現だが、そこに偶像を祭る意味ではなく、山そのものを象徴とすることであろう。

カナンに入ったあと、イスラエル人はいつもこの二つの山を見て暮らした。そして、神のおことばを思い出したにちがいない。それはちょうど、アダムとエバがいのちの木と善悪を知る木を見て暮らしたのとおなじだった。悲しいことに、彼らはエバル山の生き方を選び、最後にほろびたのだったが・・・。

私たちにも二つの山が見えている。「キリストにより到来した神の国」、「栄華に満ちたこの世」、という二つの山だ。私たちは毎日この山を見ながら暮らしている。そしてヨハネは言う、「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。・・・世と世の欲は滅び去ります」(Ⅰヨハネ2:15~17同)と。


朝の露 申命記10章 <あなたのしあわせのために>

2015-04-28 | 申命記

ガーベラ「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。」(12、13新改訳) 

神は人が真にしあわせになるようにと望んでおられる。それが創造の目的だからだ。そして律法はそのために与えられたのである。▼この律法を心から喜び、完全に守った人こそナザレのイエスである。守ろうとして守れず、苦しみ抜いた代表がパウロだが、イエスは反対にいのちそのもの、喜びそのものとして律法を完全に守り切られたお方だった。

私たちも弱いパウロと同じだが、今やイエスの御霊が内住し、一体になってくださり、心から律法を守れる身へと変えてくださった。それが救われ、新生したということにほかならない。▼主はあなたに、「今日も一日、わたしといっしょに歩もう」とやさしく語られる。なんと嬉しく、幸いな律法の道だろうか。