「あなたが、自分の目で見たあの大きな試み、それは大きなしるしと不思議であった。しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。」(申命記29:3,4新改訳)
荒野において、イスラエルは神のなさった大いなるみわざを四〇年間見続けたが、その心の性質は少しも変化しなかった。彼らの歴史は、罪が人の心をいかに固くするかという事実の例証である。▼キリスト者もそれとおなじで、自分の生涯に数々の恵みと奇蹟のわざが行われても、感謝も感動もなく、つねに不平とつぶやきが口からもれるというのでは、内なる御霊がどんなに嘆かれるだろう。
よく胸に手を当ててみたい。はたして自分の信仰生涯は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16~18同)とのみことばが、そのまま表わされた生涯だろうか。▼もしそうでないなら、荒野を彷徨したイスラエルと変わらず、悔い改めが必要である。