えしぇ蔵日記

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三島事件

2010年11月25日 | えしぇ蔵的歴史探訪
1970年11月25日。三島由紀夫は盾の会のメンバー4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監部において当時の益田総監を人質にとって立てこもり、バルコニーから自衛隊員や報道陣に対してクーデターを呼びかけた。マイクの用意がなく声が聞こえなかったこともあり、熱弁むなしく呼びかけへの反応はなかった。意を決した彼は総監室において割腹し、古賀浩靖の介錯によって壮絶なる最後をとげた。
彼は自衛隊の決起によって、魂を忘れた日本人を目覚めさせようとした。(
その時の檄文はこちら

「・・・今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう・・・」

彼の行動の是非はワシごときにはわからない。だが今の日本を見ていると、こうして身命を賭して救国に立ち上がった熱い男たちの行動を全て否定する気にはとうていなれない。
この事件から既に40年だ。この当時でさえ生ぬるい日本と言われていたのに40年後は言わずもがな。日本はとてつもなく大事なものを失くしたまま先に進んでいく。

「憂国」

己が国 憂えて去りし 人もあり
せめては贈る 哀悼の想い
 
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