えしぇ蔵日記

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遇仙

2012年05月14日 | Weblog

中国鍼灸院」さんにて。今日の呉先生の漢詩はこれ。この詩は下の会話を読めば意味がわかる。

「遇仙」

呉炳宇

深山採草遇二仙、(深山に草を採りて二仙に遇う)
雪化人間三百年。(雪とけて人間三百年)
子孫繁栄何懸念、(子孫繁栄し何の懸念や)
仙飛山在雲連天。(仙飛び山在りて雲天に連なる)
 
(以下、えしぇ蔵的博多弁訳)

山奥で薬草とりよったら二人の仙人に会うたばい
雪がとけたら三百年たっとったばい
子孫は繁栄してなーんも心配なかばってん
もう山行ってん仙人はおらんでくさ、雲がつらなっとるばっかしたい

呉先生: 「漢の時代にこんな話があるヨ。ある兄弟が二人で山奥に薬草とりに行ったヨ。あんまり奥まで行ったから道に迷ったヨ。すると川で洗濯している二人の姉妹がいたから道を訊いたヨ」
ワシ: 「はい」
呉先生: 「教えてもいいけど、もう遅いからうちに泊まって明日の朝帰りなさいと言われて、そうすることにしたヨ」
ワシ: 「はい」
呉先生: 「その姉妹は大きな家に二人だけで住んでたヨ。この近辺には誰も住んでないから自分たちと結婚してくれと言われたヨ」
ワシ: 「はい」
呉先生: 「兄弟は結婚してもいいと思ったけど、やっぱり帰りたいと言ったヨ」
ワシ: 「はい」
呉先生: 「そして夜が明けたら大雪が降ってて帰れなくなったヨ。兄弟は雪はいつとけるかと訊いたら春までとけないと言われたヨ」
ワシ: 「あはははは!」
呉先生: 「それで春になるのを待って帰ったヨ。帰る時、目を閉じてたら家に帰れると言われてその通りにしたヨ。二人は目を開けなかったからわからなかったけど、空を飛んで帰ったヨ」
ワシ: 「はい」
呉先生: 「兄弟が家に帰ったら知らない子どもが遊んでたヨ。そして100歳のじいさんが出てきてお前たちは誰だ?と訊いたヨ。兄弟がここは自分たちの家だと言っても信じてもらえなかったヨ。そこで兄弟が名前を言うと、じいさんは聞き覚えがあったので家系図を見てみたヨ。そうすると300年前に兄弟の名前が載ってたヨ」
ワシ: 「へー!」
呉先生: 「じいさんの話ではこの兄弟は300年前に山に入ったまま大雪で帰らなかったということだったヨ」
ワシ: 「はい」
呉先生: 「あの姉妹は仙人だったヨ。仙人の世界では半年でも人間の世界では300年だったヨ」
ワシ: 「なるほど」
呉先生: 「兄弟は山に戻ることにしたけど、もうあの姉妹はいなかったヨ」


こういう浦島太郎的物語というのは世界中にある。ヨーロッパの小説でも読んだことがある。昔から時空を越えるというのは大いなる浪漫だったということだろうな。
 
今日は呉先生から面白いことを習った。老子の教えと孔子の教えの違いは何か?ということ。

呉先生: 「例えば家に泥棒が入るとするネ」
ワシ: 「はい」
呉先生: 「孔子の教えでは次から泥棒入らないように鍵をかけたり、泥棒しないように人を教育すればいいというふうに考えるヨ」
ワシ: 「なるほど」
呉先生: 「でも老子の教えはそうではない。みんなが何も所有しなければ、盗るものがないから泥棒はいなくなるというふうに考えるヨ」
ワシ: 「なるほどなるほど!」
呉先生: 「つまり、孔子の教えは人間の現実の生活に基づいているヨ。そして老子の教えは人間よりももう一つ上の段階で考えてるヨ」
ワシ: 「おー!勉強になりました!」


「道」
 
生きる道 教えは既に 数千年
いづれ悟れる 人もあるかは
 

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