【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ノン、あるいは支配の空しい栄光」:豊洲駅前バス停付近の会話

2010-04-20 | ★業10系統(新橋~業平橋)

ここって、たしか消防署の施設じゃなかったかしら。
いまやシャッターも閉まって、それも過去の栄光だな。
ポルトガル映画の「ノン、あるいは支配の空しい栄光」に描かれた茫漠たる世界みたいなものかしらね。
1974年、アフリカの植民地戦争に参加しているポルトガルの兵士たちが自分たちの置かれた立場に疑問を持ち、戦争についての議論を始める。
そのうち、議論は過去のポルトガルの戦争の歴史に及ぶ。
それも、紀元前の戦争から始まって、1578年の悲惨な戦争に至るまで、ポルトガルという国の歴史を戦争の側面からたどるような展開になる。
しかも、挫折や敗北を繰り返す無残な戦いの数々。いつのまにか、戦争を通して人類の愚かさと自分の国の歴史を振り返ろうという壮大な叙事詩になってる。
マノエル・ド・オリヴェイラ監督って、名前だけは聞いていたけど、こんな骨太な映画をつくる監督だとは想像してなかった。
そうかと思うと、いきなり希望を灯すような天使が現れたりして、はるか神と人間に関する考察にまで話は及ぶ。
ある種、とんでもなく哲学的な映画だ。
なんと言っても、戦場の兵士たちが、戦争というものに対する議論を延々とするっていうのが斬新に映るわ。しかも、カメラ目線で。
振り返ってみれば、戦争それ自体について兵士たちが議論を交わすなんて、あまり見たことがない光景だよな。
映画に描かれる戦争と言えば、最近の「ハート・ロッカー」を持ち出すまでもなく、痛ましい現実の姿がまず第一に来るものなんだけどね。
戦争は痛いものなんだ、っていうのが、数々の戦争映画の原点だからな。
もちろん、この映画もその視点はしっかり押さえている。
とくに後半。ゲリラとの戦いで多くの兵士たちが次々と傷ついていく。
リアリスティックな描写とギリシャ悲劇みたいな過去の戦争の回顧の組み合わせが、独特の視点を持った映画をつくりあげた。
でも、東京では二週間限定公開。
ポルトガルの歴史なんて、日本人じゃピンとこないところがあるからかしら。
俺だって、ポルトガルなんて渋谷にあるレストランくらいしか知らないけど、言いたいことは十分伝わってきたぜ。
日本でも、こういう、自国の戦争の歴史を俯瞰する映画が出てきてもよさそうなもんだけどね。
いずれにしても、戦争は無益だってことだ。
戦争の火は、ひとつ残らず消してしまいたいわね。消防車が火を消すように。
その消防車も、ここにはもうないけどな。




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