【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「風が強く吹いている」:本駒込二丁目バス停付近の会話

2009-10-31 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

この道、まっすぐで、ジョギングでもしたくなるような道ね。
ジョギングより、駅伝の練習だろ。
大森寿美男監督の映画「風が強く吹いている」みたいに?
ああ、箱根駅伝をめざす三流陸上部の部員たちの物語。
三流って言ったって、最初から結構、能力のある選手が揃っていたってことじゃないの?
いやいや、最初は能力もやる気もない選手が、だんだん駅伝の魅力にとりつかれていくっていう話なんだ。
そうなの?なんか予定調和的に駅伝を始めて、予定調和的に本選に出て、予定調和的にアクシデントがあって、予定調和的に大団円を迎えたようにしか見えないけど。
まあ、三流選手がどうして強豪になっていったかという視点で見ると、精神面ばかりで、テクニックの面からはあまり説得力がなかったかもしれないな。
たとえば、テレビドラマになった「ドラゴン桜」なんて、三流高校生が東大をめざす話なんだけど、合格するためのテクニックにあふれていて妙に説得力があったわよ。
だけど、走るシーンは、みんなフォームがきれいで本格的だった。
あなたは、人が走るシーンがあればそれでいいんだもんね。
ああ。以前から何度も言ってるけど、映画といちばん相性がいい被写体は、人が走る姿だと思っている。人が走る姿を追うから、モーション・ピクチャーって呼ぶんだと信じているくらいだ。
そういう意味では、題材からして走るシーンばかりだもんね。
ほんとは、カットを割らないで5分でも10分でも俳優の走る姿を延々と追うシーンがあってもよかったと思っているくらいだ。そういう生身の俳優の本物の表情、息遣いが映画を観る感動につながると思っているから。
だけど、ストーリー的にはどうかしら。主演は「バッテリー」でも天才スポーツ選手を演じた林遣都だけど。
バッテリー」と比べちゃかわいそうだろう。あれは、天才ピッチャーの天才ゆえの悩みや問題までもきっちりと描いていたけど、この映画はそういう映画ではないし。
かといって、「ひゃくはち」のように万年補欠選手ゆえの苦笑いを誘うような苦悩まで描いているわけでもない。部員それぞれの挿話はあるんだけど、核が見えない気がする。何を描いているのかしら。
駅伝だからな。たすきをつなぐことの大切さかな。
たすきをつなぐことによってバラバラだった部員たちの心がひとつになっていくっていう話かもしれないけど、小さないざこざはあっても、最後、感動に結びつくような大きな障害があったようにも思えない。
足の故障があったじゃないか。
それも最初からそうなるだろうなあっていう予想どおりの展開。
他校のライバルとのエピソードも抜き差しならないってほどじゃないしなあ。
この駅伝に出られなったら廃部になるとか、誰かの復讐戦とか、なにか切実な足かせがあればもっと感動できたかもしれないんだけどなあ。
「あしたのジョー」みたいに燃え尽きる何かがあるとかな。
走ることの意味を知りたいって言われてもねえ。
しかし、駅伝を走る選手の見る風景を感じたいっていうのは、俺も同感だったよ。いつも、選手たちの目からは沿道の風景がどう見えているんだろうって思いながら箱根駅伝を見ている身としては。
それに対する答えもあまり感じられなかったなあ。
お前が期待するほど深い紆余曲折はない、ストレートでさわやかな駅伝映画だったってことだよ。
この直線道路みたいに?
それじゃ不満か。
いや、思ったほど風が強く吹いていない映画だったなと思っただけ。





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ふたりが乗ったのは、都バス<草63系統>
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