【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「沈まぬ太陽」:千石一丁目バス停付近の会話

2009-10-28 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

海外へ行くと、むしょうに枝豆を食べたくなることがあるんだよなあ。
私は、むしょうに大福が恋しくなることがある。
長い間海外に左遷させられていた男には、枝豆大福なんてぴったりかもしれないな。
「沈まぬ太陽」の主人公のこと?
ああ、労働組合の委員長をやったばかりに、会社に疎まれ、僻地をたらい回しにされる航空会社社員。原作は、あの山崎豊子。
長い原作だから、長い映画になると思ったら、3時間22分。間にインターミッションが入る。
最近の風潮としては、こういう長い物語は、2部作、3部作にしてだらだら公開しようとするんだけど、インターミッションを入れてでも一気に見せようとする姿勢には脱帽する。
しかも、物語で引っ張るから、その3時間22分が全然退屈しない。
誰もが一番興味を持ちやすい「御巣鷹山編」で「アフリカ編」「会長室編」を包み込む、うまいアレンジ。
航空会社の名前も登場人物もあえて架空の名前にしてあるのに、御巣鷹山だけは、実名。
山の名前まで架空の名前にしちゃうと、物語のリアリティが一気に崩れちゃうってことなんだろうな。
実名の部分があるからこそ、フィクションの部分も絵空事とは思えない真実味が出てくる。
渡辺謙が気骨のある男を全力で演じている。
彼に相対するズル賢い存在が、三浦友和。
出世しか頭になく、渡辺謙の足を引っ張る慇懃無礼な役どころを、どこかで新調したようなスーツで演じている。
渡辺謙と並ぶとちょっと格が違うかなという気もするけど、元来小心者という役柄だしね。
昔の映画だったら、最後には三浦友和が勝ち残り、巨悪はいよいよはびこっていくっていう構図になったはずなんだけどな。
「白い巨塔」の田宮二郎みたいにね。
ところが、今は時代が違うから、そうはならない。
三浦友和が勝つわけでも、渡辺謙が勝つわけでもない。
負けたはずの渡辺謙が最後に行き着く風景に、みんな、なんとなく納得してしまう。
エコの時代だからねえ。
あの風景を最後に持ってくるなら、前半でもうちょっとあの風景のすばらしさを感じさせてくれてもよかった。「どうぶつ奇想天外」みたいな映像ではなく、もっと奥深い思想を感じさせてくれる映像がほしかった。
そのために、ファーストシーンにああいう映像を持ってきたんじゃないの?
そうかもしれないけど、例えば「ナイロビの蜂」みたいな、映画的な感興を呼び起こす撮り方がほしかったって思うわけよ。
うーん、難しいこと言い出すわねえ。
撮り方が常識的すぎて、もうちょっと映画としてのこだわりが凝縮された部分があってもよかったんじゃないの、ってことかな。
そうかしら。素直に物語を受けとめれば、それでいい映画なんじゃないの?
物語からしても、労組で活動したばかりに苦渋を舐める男の物語なのに、その原点の労組が結局どうなったのか、見せないまま中途半端に終わるのが、片落ちな気がする。
社会派ドラマと人間ドラマの中間を狙ったような映画なんだから、描き切れないところがあるのはしかたないわよ。それより、この長時間を持たせたスタッフの技量を買うべきなんじゃない?
アクションシーンの連続で時間を持たせる映画っていうのはたくさんあるけど、物語で時間を持たせる映画って、最近、少なくなってきたからな。
昔はこういう大作、ときどきあったんだけど、いまはほとんどないもんね。
ある意味、懐かしい気分のする映画だった。
外国で枝豆大福に出遭ったような気分かしら。
モデルとなった航空会社のことを考えると、ほんとはそんな悠長なこと、言ってられないんだけどな。
沈まぬ太陽になれるかどうか、正念場だもんね。





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