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【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢」:船堀中組バス停付近の会話

2008-10-25 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

この奥に銭湯があるみたいだな。ひと風呂浴びていくか。
汗でもかいたの?
いや、「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」観てたら、みんな跳んだりはねたりしてて、きっと汗びっしょりなんだろうなあ、って想像しちゃったからさ。
そりゃ、ミュージカルのオーディションに賭ける若者たちのドキュメンタリーなんだから、汗もかくでしょうよ。
しかも、伝説のブロードウェイ・ミュージカル「コーラスライン」のオーディションだもんな。冷や汗も相当かくだろうな。
「コーラスライン」自体がオーディションに挑む若者たちの物語なのに、そのミュージカルのオーディションに挑む無名の若者たちを追った映画なんて、二重構造になってるみたいでおもしろいわよね。
オーディションに参加した若者たちのバックストーリーを追っていくのかと思ったら、それは案外あっさりしていて、伝説のミュージカルができあがった裏話と、その再演にあたってのオーディションシーンだけでほぼ構成されている。
特段のドラマがあるわけでもないんだけど、プロの目に試される若者たちの意気込みや不安、ひたむきさが伝わってきて、予想以上に胸が熱くなったわ。
3,000人もいた応募者が、8カ月もかけてどんどん落とされていくわけだからな。相当なプレッシャーだよな。
それに耐えるだけの心臓を持った人間じゃなきゃ成功しないってことよね。
沖縄生まれの応募者もいたが、いかにも気の強そうな女の子だったもんな。
「小さい頃から席の奪い合いをしてなきゃダメ」とか、厳しい批評されたりしてね。
「コーラスライン」はリチャード・アッテンボロー監督が映画にもしているけど、あれは華麗なフィクションとして楽しめたのに対して、こっちはドキュメンタリーだから、つくりものでない生のドキドキ感が伝わってくる。
うん、映画としては、「コーラスライン」よりアラン・パーカー監督の「フェーム」を思い出したわ。
あれもフィクションではあったけど、ショービズ界での栄光をめざす若者たちの等身大の物語だったからな。
オーディションだから、最後は選ばれし者とそうでない者が出ちゃうんだけど、合格の喜びを全身で表わす若者たちの表情を観ていると、やっぱりこっちまで幸せな気分になっちゃう。
不合格になった若者たちがまた、落胆するというより、いつか必ずビッグになると信じているっていうのがすがすがしくていい。
若者には、まだやり直す可能性と時間が残されているっていうことよね。
俺たちには、残されてないけどな。
そう、私たちには残されてない・・・って、そうなの?
おいおい、いきなり真顔になるな。
そ、そうね、映画の話だったわね。合格者の中でも二人の男女のシーンでこの映画が終わるのはどうして?
わからないが、たしかにあの二人、映画俳優になってもやっていけそうなキャラクターじゃなかったか?
うん。個性的な俳優になりそうよね。
「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」がドラマとして映画化されることがあればぜひあの二人を主演にしてほしいな。
そして出演者全員に成功してほしいって、つい思っちゃう。
だいじょうぶ。みんなにあけぼのはやってくるさ。
あけぼの?なんでいきなりそんな表現になるの?
だって、ここの銭湯の名前、あけぼの湯らしいぜ。
なるほど。私たちにもあけぼのは来るかしら。
うぐっ。



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「はじらい」:陣屋橋バス停付近の会話

2008-10-15 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

大都会東京にもひっそりと忘れられたように存在する遊歩道がけっこうあるのね。
ひっそりと忘れられたように存在する映画があるようにな。
たとえば?
ジャン=クロード・ブリソー監督のフランス映画「はじらい」。
そんな映画、あったかしら。
ほーら、忘れてるだろ。こんな映画が今年封切られたなんて知っている人間は、日本広しといえど、俺くらいなもんだ。
あなたと私くらいなものよ。
お、思い出したか。
ええ、思い出したわ。映画監督が女優と寝ちゃうっていうだけの映画ね。
ああ、それだけの映画。それ以外なにもない。
そうかしら。私たちに見る目がなかっただけじゃないの?
監督を演じる男が魅力的なわけでも、女優が魅力的なわけでもない。
ああ、たしかに魅力がない。まだ私のほうがましと思っちゃった。
うーん。それには賛同しかねるけどな。
まったりと進む話が、また退屈で死にそう。
そうだろ、そうだろ。
そうかと思うと、妙に思わせぶりなところもあって、それがかえって観ていられない。
そうなんだよ、そうなんだよ。なんでも、前作のオーディションでセクハラを訴えられ、1年間の執行猶予と多額の賠償金を支払う羽目になった監督ジャン=クロード・ブリソーが、自身の姿を投影したのがこの作品らしい。
そう言われても、映画としてまったく面白みがないんじゃねえ。
もっと羽目をはずせばいいものを、辛気臭く真顔でこういう話を語られちゃうと、観ているこっちまで滅入っちゃうよな。
長い間、映画を観ているとときどきあるのよね、こういう底が抜けたような映画。「はじらい」なんてタイトルをつける前に、お前がはじらいを知れって言いたくなっちゃうわ。
今年は「つぐない」なんていうタイトルの佳作もあったが、同じ4文字タイトルの映画でも雲泥の差だな。
比べるほうが失礼だわ。
そうだろ、そうだろ。俺たちに見る目がないんじゃなくて、映画に見られる要素がないんだ。
こんな映画、忘れたままにしておいてほしかったわ。
でも、まあ、そう目くじらたてるな。こういう映画があるからまた他の映画が引き立つんだから。
あら、なにその、てのひら反し。
俺の中のラズベリー賞候補だってことよ。
なるほど。



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「その土曜日、7時58分」:船堀7丁目バス停付近の会話

2008-10-11 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

この時計屋さんの時計、合ってないんじゃないか。
そう?ほんとは、いま何時?
7時58分。
そっちのほうが怪しいなあ。
きょうは土曜日。土曜日の7時58分。
ははあ、「その土曜日、7時58分」って言いたいわけね。
ああ、きょう公開のアメリカ映画。原題とは違うけど、いいタイトルだよなあ。
そう?映画は別にこの日時をキーワードに展開しているわけじゃなかったけど。
でも、全体の印象は、このタイトルそのままの、むだがない硬派できりっとしたドラマだったぜ。そういうのを映画に寄り添ったいいタイトルっていうんだ。
えらそーに。
金に困った兄弟が共謀して父親の経営する宝石店を襲ったものの、予想外のハプニングが起きて、そこから悲劇の連鎖が始まるという本格的なドラマ。久々のシドニー・ルメット監督だ。
時制をバラバラにしてストーリーを再構築しているから、同じような場面が何度も出てくるけどね。
日本映画でいえば、「アフタースクール」をちょっと思い出す手法だけど、観客のミスリードを誘うのが目的じゃないから、あの映画のようなあざとさは感じない。
むしろ、映画に緩急を与え、サスペンスを誘うという効果で、内容に貢献していた。
はじめからバラバラな家族ではあるんだけど、犯罪が失敗する中でますます瓦解していくアメリカの家族関係が、哀れというより恐ろしいくらいだ。
荒んだ、救いのない話よね。最近のアメリカ映画全般に言えることだけど。
株も暴落しちゃったしな。
病んだアメリカ。元気のないアメリカ。その姿が最近のアメリカ映画には通底しているのよね。
しかし、シドニー・ルメットの演出がシャープだから、ヤワなところのない、硬質な映画に仕上がった。ベテラン監督健在を告げる一本だ。
カポーティ」のフィリップ・シーモア・ホフマンをはじめ、イーサン・ホーク、マリサ・トメイ、 アルバート・フィニーと存在感ゆたかな面々が並んでいるから、演技も見ごたえじゅうぶんだしね。
プロが集まって作った本物の映画っていう感じがするよな。
近頃珍しいおとなの映画。
ところが、この映画、東京ではミニシアター1館でしか上映していない。
別にマニア向けの映画でもなんでもないのにね。
ああ。万人向けの映画だと思うんだけど、どうしてこういう上映形態になっちゃうんだろうな。
やっぱり、タイトルが良くないんじゃないの?
断じてそんなことないって。うなるような、いいタイトルだ。
うーん。確信犯。いま、何時?
だから、7時58分。
ますます、確信犯。




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「宮廷画家ゴヤは見た」:三角バス停付近の会話

2008-10-08 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

三叉路だからバス停も「三角」。シンプルですばらしいネーミングだ。
なに、つまらないことに感心しているのよ。
いやいや、ネーミングって大事だぞ。映画のタイトルだって、最近はどうも首をひねるようなタイトルが多くていけない。
例えば?
「僕らのミライへ逆回転」とか「私がクマにキレた理由」とか、映画というよりはレンタルビデオみたいなタイトルだ。
そんなにひどい?観てもいないくせに、批判するものじゃないわよ。
でも、映画のタイトルって、その映画がこれから一生背負っていかなきゃいけないものなんだから、安っぽいタイトルだけはつけてほしくない。
まあ、「宮廷画家ゴヤは見た」なんて、一見、テレビのサスペンス劇場みたいなタイトルだもんね。
「家政婦は見た」じゃないっちゅうの。
でも、実際の映画を観ると、なるほど含蓄のあるタイトルだ、と納得できるような内容よ。ゴヤの伝記映画じゃなくて、ゴヤの目から見た18世紀スペインの話なんだから。
内容はそうかもしれないが、タイトルから醸し出される雰囲気が二流の映画みたいでいけない。
贅を凝らした堂々たるドラマなのにね。
タイトルからは伺いしれないような密度の濃い映画だ。監督のミロス・フォアマンもアカデミー賞を獲った「アマデウス」ほどではないにしろ、力を込めて撮っている。
豚を食べないだけで異教徒扱いされて投獄されるなんていう導入部を観て、18世紀の教会の理不尽を訴える映画かと思っていたら、スペインの歴史の中で翻弄される人々の物語へと、視野がどんどん拡大してくる。
きょうの正義は明日の正義じゃない。
と思ったら明後日にはまた正義だったりして。
コインの裏表のように正しいことがくるくる変わる時代。
それに合わせてくるくる立場を変えて生き延びる男がハビエル・バルデム。
ノーカントリー」以来、うさんくさい人物をやらせたら彼の右に出る者はいなくなったな。
「海を飛ぶ夢」で誠実な男を演じていたころが懐かしい・・・。
その彼にもてあそばれる悲劇のヒロインがナタリー・ポートマン。
後半は、スター・ウォーズのアミダラ女王がここまで汚れ役を演じるか、っていう驚くべきメイクで登場。
吉永小百合だったら絶対やらない。
その顛末を絵筆片手に見ているのが宮廷画家ゴヤっていう構図。
彼は後年、耳がきこえなくなって、文字通り見るしかない。
だからやっぱり、タイトルは「宮廷画家ゴヤは見た」で正しいのよ。
だからあ、俺が言っているのは正しいかどうかじゃなくて、映画にふさわしいイメージのふくらみがタイトルから感じられるかどうかだよ。
でも、原題がGOYA’S GHOSTSだからねえ。そのまま直訳したら、ホラー映画かと思われちゃう。
それを考えても、やはり「三角」というバス停の名前は秀逸だ。
そんなこと言ってたら、四辻は全部「四角」になっちゃうけどね。


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「蛇にピアス」:新川橋バス停付近の会話

2008-10-04 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

あそこに見えるあの建物、ムラサキなんて、珍しい色合いね。
世の中にはいろいろな趣味の人がいるからな。
でも、まさか舌に穴を開けるのが趣味の人がいるとは思わなかったわ。
「蛇にピアス」のことだろ。芥川賞を獲った小説が原作だから、そういうことがあるのは知っていたけど、実際に映像で見せつけられると、また一段とびっくりするよな。
痛々しさが倍増。目をそむけたくなる。
そこがこの映画の狙いで、痛みを感じることでしか生きる実感が得られない若者たちの、文字通り痛々しい物語。
でも、そのために舌に穴を開けるってどうなのよ。考えられない。
そういうふつうには考えられないことでも、ひょっとして我々もそうなるかもしれない、って思わせるところが映画ならではのマジックだ。
って、どこがマジックだった?
うっ、それを言われるとつらい。監督は世界の蜷川幸雄だぞ。がんばってたじゃないか。
だから、どこが?
そっ、それを言うな。主演の吉高由里子も体を張ってがんばってたじゃないか。
たしかに肉体的な痛みはこれでもかって感じたけど、映画なんだから心の痛みを感じさせてくれなくちゃ。
なんだよ、その冷静な反応は。
原作と比べるわけじゃないけど、やっぱり小説のほうは物語を引っ張っていく文体っていうものがあって、その文体が醸し出す独特の世界観に引き込まれる。それに対抗するだけの文体を映画のほうは持てなかったんじゃないの?
厳しいなあ。心の空洞が痛みを欲しているっていう解釈じゃだめなのか?
そう言われても、この手の映画って、観客を納得させるだけの世界観がないと、ただの薄っぺらなドラマに成り下がっちゃうような気がするのよね。
何でこういう行為でしか満たされないのか、もっと納得させるような何かがほしいってことか。
彼女の生い立ちとかバックグラウンドとかそんなものは必要ないんだけど、映画から立ち昇ってくる何かね。
世代の問題かな。蜷川幸雄が20代の女性の小説を映画化するところに無理がある?
でも、同じ蜷川幸雄の映画でも、若者を主人公にした「青の炎」なんて結構傑作だったんだけどねえ。
二宮和也と松浦あやの青春映画か。
イエーイ!めっちゃホリデー なんて真似されてないころの松浦あや。
吉高由里子はあのころの松浦あやに勝てなかったってことか?
なんかヘンな比較だけど。
いやいや、松浦あやが主役をやってたら、これはこれで異様な映画ができあがってたかもしれないぜ。
それこそ、スキャンダラス。吉高由里子にも、それくらいスキャンダラスな部分があったほうがよかったのかもしれないわね。
でも、彼女のあの舌ったらずな喋り方には引かれるよな。長澤まさみみたいでたまんないっす。 
まあ、人は好き好きだから。ああいう色の建物を建てる人もいるわけだし。
イエーイ!めっちゃムラサキ



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