【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「カポーティ」:銀座四丁目バス停付近の会話

2006-10-14 | ★都05系統(晴海埠頭~東京駅)

銀座のティファニー。この前でハンバーガーでもどう?
待て、待て。ニューヨークなら「ティファニーで朝食を」ってのもいいかもしれないけど、ここは東京だぜ。
そうね。ニューヨークならロマンチックかもしれないけど、東京じゃあねえ。
その「ティファニーで朝食を」の作者の映画はどうだった?
え、何の映画?
だから「ティファニーで朝食を」の作者、カポーティの映画。
え、カポーティって、「冷血」の作者じゃなかったの?
だから一緒だろ。カポーティは「ティファニーで朝食を」も書いているし、「冷血」も書いている。映画の中にも出てきたぜ。
まっ。そんなことも知らなかったなんて、「冷血」というより「冷や汗」が出るわ。
たしかに映画の「カポーティ」は、彼がどのようにして小説「冷血」を書き上げたかってことにしぼった話なんだけど、なんだか寒々とした話だよな。犯罪者に自分と同じような部分を感じてそれを小説にしようと近づいていったのに、犯罪者はなかなか処刑されないので自分の小説も終われなくなってしまう。犯罪者にシンパシーを感じる気持ちもあれば、早く処刑されてほしいという気持ちにもなる。その中で精神が引き裂かれていく。結局、犯罪者は処刑されるんだけど、カポーティもほとんど死んだような状態になってしまう。
そうなんだけど、カポーティの役をフィリップ・シーモア・ホフマンがアカデミー主演男優賞の奇怪な演技で存在感たっぷりに演じている分、相対する犯罪者のほうがまともに見えてしまって、丁々発止の対決というにはバランスが悪かったような気がしない?
そうだな、相手役が「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターみたいな存在だったらすごいことになってたのにな。実際、それくらい猟奇的な事件なんだから。
そうはいっても、ホフマンの演技を見るだけでも一見の価値があるわよね。
だけど、彼がアカデミー賞なら、「太陽」のイッセー尾形だって、アカデミー賞もらってもいいんじゃないの?
その人に成りきるってことでは、どちらもひけを取らないわよね。
映画の中でも「冷血なのは犯罪者のほうか、おまえのほうか」というセリフがあるけど、ほんと、ホフマンは寒々とした人物を熱演、じゃなくて冷演(?)してたな。近くにいたらいやなやつだろうなあ。
パーティでセレブに囲まれてしょーもない会話を交わしているシーンとか見るとゾッとしちゃうわよね。
都会の会話は寒々とし、田舎の風景も寒々とし、文字通り冷え冷えした物語・・・。
いいことかどうかわからないけど、文学でもなんでも傑作っていうのは、ここまで心身を削らなければできあがらないって話よね。
あ、それは言える。俺たちみたいにグダグダお喋りしているだけじゃなんにも生まれないってことだ。
私たちにできることっていえば、せいぜいティファニーで買い物でもするくらいね。
おいおい、その買い物、誰が支払いするんだよ。
むふふふ。
それを考えると、俺も心身、削られる思いだよ。


ふたりが乗ったのは、都バス<都05系統>
晴海埠頭⇒ほっとプラザはるみ入口⇒ホテルマリナーズコート東京前⇒晴海三丁目⇒勝どき駅前⇒勝どき橋南詰⇒築地六丁目⇒築地三丁目⇒築地⇒銀座四丁目⇒有楽町駅前⇒東京国際フォーラム前⇒東京駅丸の内南口


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