【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「(500)日のサマー」:千束バス停付近の会話

2010-01-09 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

山形水ラーメン?
おお、こんなところにあったのか、山形水ラーメン。
知ってるの?
俺たちラーメン通の間では、伝説のラーメンだ。こんなところで出会うとは、まさに運命。
単なる偶然だと思うけど。
運命か、偶然か。それは議論を呼ぶところだな。マーク・ウェブ監督のアメリカ映画「(500日)のサマー」でも取り上げられている大問題だ。
この映画、恋愛映画かと思ったら、冒頭から、これは恋愛映画ではない、って宣言しちゃってるんだもんね。
そう、「運命と偶然に関する一考察」というサブタイトルでもつけたいような映画だった。
でも、内容は、サマーという名前の女の子と彼女に恋した男の子の軽妙な物語。どう見ても、いわゆる恋愛映画よ。
ああ、499日目まではな。
そうなのよね。500日目に至って、ああ、これはたしかにハリウッド流の恋愛観映画じゃなかった、って初めてわかる。
むしろ、ヨーロッパ映画のような恋愛観だ。
アンハッピーエンドのようなハッピーエンド。
「(500)日のサマー」というタイトルに隠された本当の意味もまた初めてわかって、思わずニクイね、と思ってしまう。
499日は、500日目までの長い長い前振りだったんだから、驚く。
でも、その499日間も、ミュージカル風のシーンやら、アニメ風のシーンやら、画面の二分割やらの趣向が凝らされていて、しかもそれぞれにみな、分をわきまえているから、観ていてうっとうしくもならない。
出演者も、流行のことばでいえば、いかにも草食系の男の子には好感が持てるし、サマーのほうもエイミー・アダムス系のごく普通の女の子なんだけど、男の子が恋に落ちても仕方がないなと思うチャーミングな魅力を持っている。
それでいて、品が落ちない。節度を知っている。
その二人が映画館で観る映画は、名作「卒業」のラストシーン。
若きダスティン・ホフマンがキャサリン・ロスを結婚式場から奪い取る有名なシーンじゃなくて、そのあと、二人でバスに飛び乗ってからのシーン。
とうとう好き同士が結ばれて喜びにあふれていていいはずなのに、二人ともなにか戸惑ったようなうつろな表情になって終わる奇妙なシーン。
「卒業」は略奪愛ばかり話題になったけど、そのあと、バスに乗ったあとの二人の表情にこそ、映画の真髄があったってことだ。
映画は終わり、人生が始まる。浮かれてばかりはいられないぞ、ってことかしら。
ああ、そのシーンをこういう映画の中に使うとは、マーク・ウェブ監督、なんてものごとをわかっている監督だと感心してしまう。
この映画もまた、映画が終わり、人生が始まるって、言えないこともないもんね。
それは、運命か、偶然か。
どっちでもいいけどね。
軽快なタッチのとっつきやすい映画なんだけど、案外、観れば観るほど味が出てくる映画かもしれない。
かめばかむほど味が出てくるラーメンみたいなもんかしらね。
ラーメンは、すすればすするほど味が出るんだ。
そうなの?
いや、山形水ラーメンはどうかわからないけど。





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「アンナと過ごした4日間」:竜泉バス停付近の会話

2010-01-06 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

ここは、一葉記念館。
どうして、こんなところにあるの?
このあたりは、樋口一葉の名作「たけくらべ」の舞台になった場所なんだ。
ああ、いずれは吉原の遊女となる女と僧侶となる男のすれ違いの恋物語ね。
いつの時代にも、男女の仲というのは、うまくいかないもんだな・・・。
あら、柄にもなく、いきなりもの思いに耽っちゃってどうしたの?
いや、イエジ・スコリモフスキ監督の17年ぶりの新作「アンナと過ごした4日間」もまた、報われない愛の物語だったなあと思ってさ。
報われないもなにも、完全な片思いだからねえ。
ポーランドの寒村に住む中年の男が、近くに住むアンナの部屋を夜な夜なのぞきこむ物語。
って、ストーリーだけを追うと、完全にストーカーの話じゃない。
まあ、まあ。そう言うな。物語だけじゃなく、田舎町の寒々とした風景や、さびれた建物の風情を味わう映画なんだから。
そうなの?こんな、面白味のない風景のどこに魅力があるの?
あれ、この風景の魅力がわからないなんて、お前もまだ若いねえ。
ありがと。
誉めてるわけじゃないんだけど。
百歩譲って、ほとんどセリフもしゃべらない野暮ったい中年男は、アキ・カウリスマキの映画に出てくる男たちみたいで、ちょっとおもしろかった。
そう、そう。俺はそれを言いたかったの。この男、ストーカーというより、世間ずれしていないぶん、愛の表現方法を知らないだけなんだよ、きっと。その証拠に、アンナの寝ている部屋に忍び込んでもそれ以上何もしない。
なんか、異様に肩を持つわね、この中年ストーカーの。ひょっとして、あなたにも思い当たるところがあるんじゃないの?
そう、俺も実は・・・って、そんなわけないだろ。
でも、アキ・カウリスマキの映画には、もう少しユーモアというか、愛すべきところがあるわよ。
それに比べれば、この映画のほうが厳しいというか、容赦ない。そこが、スコリモフスキ監督たる所以かもしれないな。
最後なんて、男の思いを断ち切る衝撃の風景がそそり立つ。
あれは、ドイツとソ連によって翻弄された国、ポーランドの映画だってことを頭の片隅に置いて観ると、また一段と感慨深い光景になってくる。
あ、そういう政治的意図のある映画だったの?
そんなことはないと思うけど、そういう歴史や文化が知らず知らずにじみ出してくる奥の深い映画だったってことさ。どうして、寒々とした風景でないといけないかわかるような気がしないか。
「たけくらべ」のラストのような花一輪ほどの救いも、ポーランドにはないってことかしらね。
ポーランドの歴史をずっと見てきた71歳のスコリモフスキ監督にはそう映るのかもしれないな。
“若い”私には、退屈にしか映らなかったけどね。
あらら。





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「カティンの森」:三ノ輪駅前バス停付近の会話

2009-12-30 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

あそこに見えるマンションの1階に図書館が入ってるのよ。
よし、行こう、行こう。
何を調べるの?
「カティンの森」の真相に決まってるだろ。
あなたって、ほんと、映画に影響されやすいのね。
だって、巨匠アンジェイ・ワイダが、70年前、自分の父親が惨殺されたカティンの森事件について、ようやく映画化できたんだぜ。俺たちも、襟を正して真実を知る努力をするしかないだろう。
第二次世界大戦でポーランドの将校や指導者たち1万5千人が虐殺された事件。内容は重いけど、アンジェイ・ワイダ監督83歳にしては、信じ難くみずみずしい映画よねえ。
ドイツに追われた民衆とソ連に追われた民衆が橋の上で遭遇する冒頭のシーンからして、これから起きる悲劇の物語をすべて凝縮して一気に映画に引き込む。その力技はどうだ。
西からはナチス・ドイツ、東からはソ連・共産党に攻め込まれて、大国の横暴に翻弄される小国ポーランド。その象徴的なできごとが、カティンの森事件。
この事件、ドイツはソ連が起こしたと言い、ソ連はドイツが起こしたと言う。
戦後、戦勝国ソ連は、もちろんドイツのせいにする。そのソ連の衛星国になったポーランドは、立場上、真相を暴くわけにはいかない。
真相を暴こうとするどころか、ちょっとでもソ連のせいだって暗示しただけで、人々は捕まってしまう。
「ドイツとソ連の支配は千年続く」とか「ポーランドに自由は二度とこない」とか語る人々の言葉が、ものすごく重く響くのよねえ。
カティンの森で処刑された人々はもちろんだけど、残された女性たちに焦点をあてているから、身に迫るものがある。
日本の戦争は1945年で終ったけど、こういうヨーロッパの国々の戦争は、ナチスが滅びても延々と続いているっていうことを改めて思い知らされる。
その魂の叫びを、アンジェイ・ワイダは感情に流されることなく、けれど本当の怒りを持って描くから、画面から目が離せない。
女性たちの苦しみが淡々と描かれたあとに、そういう悲しみをもたらした虐殺の光景がまた丁寧に描かれるから、胸をかきむしられる。
刻一刻と築かれていく遺体の山を、これでもかこれでもかと見せつけられて目をそむけたくなるんだけど、それこそが真実なんだ、目をそむけるな、とアンジェイ・ワイダは信念を持って訴えてくる。
「灰とダイヤモンド」以来、50年間、祖国ポーランドを見つめ続けてきた監督にしか成し遂げられない映画よね。
寒色を基調にした緊張感あふれる画面構成、地に足がついた役者たちの心震える演技、歴史を透徹したまなざし。映画としても、まさしく一級品。
こんなみごとな映画なら、影響されてあたりまえ。
だろ?





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「海角七号 君想う、国境の南」:大関横丁バス停付近の会話

2009-12-26 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

ここ三ノ輪橋駅が王子電気軌道の駅としてできたのは、大正二年にさかのぼる。
戦前、戦中、戦後と日本の歴史をつないで、戦争で負けた日本人が南方から帰ってきたころにも健気に走っていたんでしょうね。
台湾で大ヒットした「海角七号 君思う、国境の南」もまさしく、そういう歴史と現在をつなぐ映画だ。
終戦で引き揚げざるを得なかった日本人男性と台湾に残った女性との引き裂かれた恋。そして、現代の台湾人男性と日本からやってきた女性との恋。二つの恋が並行して描かれる。
ちなみに「海角七号」って台湾にあった住所のこと。
英語でいえば、“Seaside 7th Street”みたいなもんかしらね。
なんか、雰囲気違わない?
そんなにおしゃれな映画じゃない。
過去を語る部分の重さと現代を語る部分の軽さが、バランスいいんだか悪いんだかわからないような仕上がりをみせる奇妙な映画だった。
構造は考えられているのに、描写は大雑把でち密さに欠ける。
戦後と現代をつなぐ感動的な歌が「野ばら」なんだけど、実はこの歌でなければならないっていう、のっぴきならないエピソードがあるわけでもない。
でも、まあ、そういう杜撰なところも、南方特有のおおらかさと思えば、まったく観ていられない映画でもない。
現代の日本人女性を演じたのは、田中千絵。
日本ではほとんど無名よね。
水川あさみになりそこねたような女優で、演技がどうのこうのっていう段階ではない。
相手の台湾人男性、范逸臣も、韓流の美男子たちに比べれば、騒ぐほどの容姿でもないしね。
台湾では、映画史上に残る大ヒット作らしいけど、どこがそんなに彼らの琴線に触れたのかな。
じつは、台湾の人たちってものすごい親日家なのかも。
俺たちも、日本と台湾の関係にもっと関心を持たなきゃいけないな。
そして、主人公の男性がバンドのボーカル役だっていうのが案外、映画のミソかもね。
おじいちゃんから無愛想な女の子まで世代を超えたバンドメンバーが織りなすドタバタが愉快だっていうことか。
映画を身近に、親しみやすくしているのはたしかよ。
シネコンというより近所の映画館にサンダル履きで行ったころの感覚の映画。
古き良き時代の映画みたい。そこが安心できるのかもね。
終盤、海辺でバンドが演奏をするシーンに映画が集約していくに従って、観客にも高揚感がもたらされてくる。
音楽の力ってやっぱり侮れないなあ。ボロが出そうなところをうまく隠してくれる。
終戦時の悲恋は、物語を動かすというより、映画にうま味を出すための材料になっていた。
そして、何度も出てくる引き揚げ船の風景。船上で何かが起こるわけではないんだけど、懐かしい抒情をかきたてる。
乗り物はいいよな。船でも路面電車でも、出てくるだけで絵になる。
都バスもよ。忘れないでね。





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「アバター」:荒川一丁目バス停付近の会話

2009-12-23 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

あら、こんなところに、取り残されたように一軒の家が・・・。三方から攻められたら逃げ場がないわね。
おいおい、そんな物騒なこと、言うなよ。
でも、平和に暮らしてたって、いつ襲われるかわからないっていうのは、宇宙的な真実よ。
それはそうだな。我々地球人だって、高価な鉱物資源があるからっていう理由だけで、平和な星の住人を迫害するんだから。まったくひどい話だ。
ジェームズ・キャメロン監督の新作「アバター」の話ね。
誰だって、アメリカ・インディアンの悲劇を思い出す。
私は、ベトナム戦争を思い出したけどね。
大国による小国の蹂躙。悩める兵士。そして、密林の中の戦いといえば、「プラトーン」をはじめとするベトナム戦争映画に度々登場しているからな。
しかも、ジェームズ・キャメロンだから戦闘シーンの迫力はハンパじゃないんだ、これが。
ジェームズ・キャメロンをご本尊とする「ターミネーター」の四本目が他の監督で今年封切られて、これも結構迫力あったんだったんだけど、キャメロン返り咲きの戦闘シーンを目のあたりにすると、まだまだ彼にはかなわないなあ、と思ってしまう。
その「ターミネーター4」で主役のクリスチャン・ベイルを食ってしまうという信じられない快挙を成し遂げたサム・ワーシントンが今回の主役。そして、「エイリアン2」のシガニー・ウィーバーが堂々凱旋。
海兵隊も出てくるし、女戦士も出てくるし、懐かしや、モービル・スーツまで現われて、キャメロン印満載だ。
キャラメルみたいになめつくせるキャメロン映画。
お、うまいこと言うね。お前の冗談も、きょうは珍しく快調だな。
でも、最後の戦闘シーンに至るまでの経緯は、宮崎駿のアニメーションを思い出すんじゃないかしら。
ああ、、基本は木を守る戦い、自然を守る戦いだからな。不思議な生物たちが現われて森を守る展開は、「もののけ姫」そのものだ。
そして、怪鳥に乗り、空を飛ぶ壮大な滑空シーン。
怪鳥がまた、ほんものみたいな質感で我々を驚かす。「ジュラシック・パーク」どころの騒ぎじゃない。
快調な怪鳥ね。
そのダジャレは不調だけどな。
とにかく、最近はすっかりご無沙汰になってしまったけど、心躍る滑空シーンといえば、かつては宮崎駿のトレードマークみたいなものだった。その爽快な滑空シーンにこんなところで遭遇できるとは思わなかったわ。
優雅で、力強く、そして美しく。スクリーンでまみえると、CMで垣間見える以上の出来映えだ。
しかも、3Dだから、文字通り、目を見張る臨場感。
うっとりするほど鮮やかな蛍光色に彩られた3D映画。水中シーンがあるわけではないけど、何か、夜の水族館に紛れ込んだこんだみたいな感覚にも襲われしまう。
ラストの再生シーンは、はるか「風の谷のナウシカ」に目配せしているとしか思えない。
って、どういう意味だ?
それを言っちゃあ、おしまいよ。ここから先は劇場へ急ぐべし。
混んでたけどな。
コンドルけど飛んでいく。
ぜ、絶不調・・・。





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