Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

トンチエ・ツァン/東京シティ・フィル

2018年10月20日 | 音楽
 トンチエ・ツァンTung-Chieh Chuangという若い指揮者が東京シティ・フィルの定期を振った。ツァンは台湾出身。アメリカのカーチス音楽院とドイツのワイマール音楽大学で学び、2015年のニコライ・マルコ国際指揮者コンクール(デンマーク)で優勝した。

 1曲目はハイドンの交響曲第102番。今回が日本デビューとなる若い指揮者が、ハイドン晩年の傑作「ザロモン・セット」の中の1曲を取り上げるという、その大胆さに驚く。逃げも隠れもできない曲。よほどの自信がないとプログラムには組めない。

 その演奏は、弦がノンヴィブラート奏法で、ピリオド様式を取り入れた、目の覚めるような演奏だった。一瞬たりとも惰性に流れることのない、やりたいことが明確な演奏。ツァンは暗譜で指揮した(プログラム後半のプッチーニとレスピーギも暗譜だった)。オーケストラの反応もよかった。

 2曲目はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番(ヴァイオリン独奏は三浦文彰)。ツァンは合わせ物もうまそうだ。ヴァイオリン独奏としっくりかみ合った演奏。弦は軽くヴィブラートをかけていた。

 三浦文彰はアンコールにバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番からガヴォットを弾いた。若い人のバッハもいいな、と思った。背伸びをしない、等身大のバッハ。ヴァイオリンがよく鳴っていた。プロフィールを読むと、使用楽器はストラディヴァリウスと書いてあった。

 3曲目はプッチーニの「交響的前奏曲」。プッチーニのミラノ音楽院在学中の作品だが、後年のプッチーニらしさがすでに現れている。ツァンの指揮は旋律を甘く歌わせ、プッチーニへの適性もありそうだった。

 4曲目はレスピーギの「ローマの松」。みずみずしい音色が溢れ出た演奏。ツァンは色彩豊かな近代管弦楽曲が得意なのかもしれない。そうだとすると、1曲目のハイドンへの共感のこもった演奏と相俟って、ツァンは抽斗の多い指揮者ということになる。

 オーケストラも演奏しやすそうだった。ツァンの指揮に力みがないので、落ち着いて演奏できるのではないか。もちろん「ローマの松」のエンディングでは強烈な音が出たので、ツァンにはパワーもあるが、力任せの感じはしなかった。第2曲「カタコンベ付近の松」でのオフステージからのトランペット・ソロと第3曲「ジャニコロの松」でのクラリネット・ソロも見事だった。
(2018.10.19.東京オペラシティ)
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カミュ「誤解」

2018年10月18日 | 演劇
 アルベール・カミュの演劇「誤解」を観た。戯曲は読んだことがあるが、舞台を観たのは初めて。戯曲に関しては地味な印象が残っていたが(同じ文庫本に入っていた「カリギュラ」を読んで衝撃を受けた後だったからかもしれない)、舞台は驚くほどおもしろかった。

 まずストーリーを紹介すると、場所はヨーロッパのどこかの田舎町。母と娘が経営する小さなホテルに、ある男が泊まりに来る。その男は20年前に失踪した息子だった。息子は経済的に成功し、母と妹を幸せにするために戻ってきたのだが、名前を明かさない。母と妹もその男が息子(兄)だとはわからずに応接する。

 母と娘には秘密があった。宿泊客を殺害して、金品を盗むこと。母はそのような生活に疲れているが、娘は田舎町から脱出し、海と太陽の地に行くことを夢見て、その男を殺そうとする――。

 今回、舞台がおもしろかったのは、名前を明かさない男と、見知らぬ男として(=その晩殺害するつもりの男として)応接する母と娘との、思惑のすれ違いが、綿密に描かれていたからだ。表情の変化や、気まずい、ちぐはぐな空気感が、丁寧に描出され、ドラマにふくらみがあった。

 もう一つ特筆すべき点は、娘のキャラクターの悲劇性が、崇高なまでに表現されていたことだ。もちろん、感心できるキャラクターではなく、まして共感などとんでもないが、その「石」のような心が、ギリシャ悲劇のような悲劇性を帯びる場合があり得ることが表現された。

 娘(マルタという)を演じたのは小島聖(こじま・ひじり)。わたしは何度かその舞台を観たことがあるが、今回ほど感銘を受けたことはない。

 演出は稲葉賀恵(いなば・かえ)。以前日生劇場のピロティで上演された「マリアナ・ピネーダ」(ガルシア・ロルカ作)を観たことがあり、今でも鮮やかな記憶が残っているが、そのときの演出家だったようだ。今回その実力を認識した。

 本作は1944年6月にナチス・ドイツ占領下のパリで初演された。舞台を観ていると、当時の暗い閉塞感が伝わってくる。同時期にサルトルの「出口なし」やアヌイの「アンチゴーヌ」も初演された。占領下といえども活発に演劇活動が続いていたわけだ(むしろ占領下なので演劇活動が活発化した、といえるかもしれない)。ナチスも文化統制までは手が回らなかったようだ。
(2018.10.17.新国立劇場小劇場)
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ブロムシュテット/N響

2018年10月15日 | 音楽
 ブロムシュテットは今年7月11日の誕生日で91歳になったそうだ。高齢でお元気な指揮者が時々いるが(我が国では朝比奈隆がそうだった)、ブロムシュテットも、杖を使わずに歩き、椅子に座りもせずにブルックナーのような大曲を指揮する。その音楽は少しも老いを感じさせない。

 当日のプログラムはモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」とブルックナーの交響曲第9番という堂々たるもの。わたしが聴いたのは2日目だが、初日の演奏にかんしては絶賛の声が飛び交っていた(わたしはいつも、自分で聴く前は、他の方のツイッターは見ないようにしているのだが、どうしても一部は目に入ってしまう)。

 1曲目のモーツァルトは、その完璧なピッチとアンサンブルで、音の構造体が透けて見えるような演奏だった。その代り、音楽の愉悦のようなものは、あまり感じられなかった。そんなものを目指したのではなく、音を見つめた演奏。

 そう感じたのは、弦の編成が10-10-6-4-3だったことも、多少影響しているかもしれない。通常の10型よりも高音の比重が高い。木管は2管編成なので(クラリネットを欠いている)、中音域が薄めだ(金管はホルンとトランペットが各2)。もちろんブロムシュテットの意図あってのバランスだろう。

 2曲目のブルックナーは、モーツァルトとは対照的に、音の厳しさよりも音楽の情動に身をゆだねた演奏。ブルックナーの激しい精神を渾身の力で表現した。わたしは第1楽章コーダでブルックナーの高揚した熱い涙に触れたように感じた。

 だが、その一方で、ピッチは緩めだった。音の荒々しさがすべてを呑みこんだ。その結果、怒涛のようなブルックナーが現れた。

 ピッチのことは、ブロムシュテットが高齢になったからか、とも思った。ブロムシュテットも、N響を振りだした1980年代の頃は、厳しいピッチだった。もっとも、今回のモーツァルトは厳しいピッチだったので、一概にはいえないが。

 当日はコンサートマスターにライナー・キュッヒルが入った。その効果は大きかった。コンサートマスターが変わると、オーケストラの音が変わるといわれるが、キュッヒルが入ったときの変わりようは、普通のレベルを超えている。ヴァイオリン群の音に艶が出て、音楽に熱が生まれる。それが全体に伝播する。キュッヒルが真っ赤になって弾く姿が、オーケストラを引っ張った。
(2018.10.14.NHKホール)
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インキネン/日本フィル

2018年10月13日 | 音楽
 インキネンの振るシューベルトとブルックナーというプログラム。楽しみにしていた定期だ。1曲目はシューベルトの交響曲第5番。今年6月の定期で演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」が名演だった。それと同じスタイルの演奏。だが、軽い音は同じだが、その音にふくらみが欠けていた。羽毛のような感触がなかった。

 ブルックナーの準備に全力投球したのか、と思った。そのブルックナーは交響曲第9番。今月はブロムシュテット/N響も取り上げるし、他の方のツイッターを拝見すると、(今月かどうかはわからないが)他のオーケストラも取り上げるらしい。

 演奏が始まると、やはり意気込みが違った。陳腐な表現で恐縮だが、大伽藍のような演奏だ。それは、インキネンらしく、デフォルメした部分のない、譜面を素直に鳴らした演奏。そうだからこそ、演奏が進むにつれて、その充実度が増した。

 注目すべき点は、これまでのインキネンと違って、オーケストラの鳴らし方が豪快だったことだろう。インキネンの指揮は2008年の日本フィル初登場(横浜定期でチャイコフスキーの交響曲第4番他を振った)以来10年間聴いているが、今回は従来のイメージに変更を迫るような豪快さが加わった。

 第1楽章、第2楽章では、その成長とも、進化ともいえる変貌ぶりに目を見張ったが、第3楽章になると、オーケストラが息切れしたのか、単調に流れる部分があった。じっくり作り込まれている部分もあるのだが、前2楽章のような一貫した緊張感は薄れた。

 結論的には、シューベルトもブルックナーも、完全には満足できなかった。そのため、ブログは書きにくいので、今回は止めようかと思ったが、感じたままを書いてみようと思い直した。

 他の方はどう感じたのだろうと、皆さんのツイッターやフェイスブックを拝見したら、当然、感じたことはひとさまざまだが、それらの中に「二日目はもっとよくなるだろう」というご意見が散見されることが気になった。それはプロの批評家も、わたしのようなアマチュアも、だ。

 日本フィルは、昔から、そのように言われることが多い。でも、それは、プロのオーケストラにとって、恥ずべきことではないだろうか。今は、そのような言われ方に甘んじないで、奮起すべきときではないか。一度定着した世評をくつがえすのは容易ではなく、時間もかかるが。
(2018.10.12.サントリーホール)
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網野善彦「古文書返却の旅」

2018年10月11日 | 読書
 宮本常一の「忘れられた日本人」を読んで、感銘を受けたことがきっかけになって、宮本常一の他の著作や、宮本常一に関連する書物をいくつか読み、そのうちの数点に関しては拙い感想を書いた。このへんで一区切りつけたいと思うが、その前に一つだけ、感想を書かないと心残りな本がある。

 それは網野善彦の「古文書返却の旅」(中公新書)。本書を読んだのは、同氏の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」を読んで(しかも2度読んで)感銘を受けたからだが、その感銘は宮本常一の同書を味読する喜びとともに、網野善彦の人間性に惹かれたことにもあった。

 その人間性とはなにかというと、高潔な人柄、まっすぐな感性、正直さ、自己への厳しさ、といったらよいだろうか。こんな抽象的な言葉でなにが伝わるわけでもないだろうが、ともなく同氏の「……読む」を読んで感じたことは、そういう人間性だった。

 わたしは網野善彦の他の著作も読んでみたくなった。著名な歴史学者の同氏には膨大な著作があるが、本来ならその主なフィールドである歴史書を一つ、たとえばわたしは同氏のアジールへの言及(アジールとは統治権力が及ばない地域や場所のこと。無縁所。聖域)に興味を惹かれたので、その方面の著作を読むべきところだが、宮本常一との関連で「古文書返却の旅」を読んだ。

 本書は1999年10月の発行。1年間にわたって雑誌「中央公論」に連載した随筆をまとめたものだ。奇しくも前掲の「……読む」が同年6月に岩波書店で行った4回の講演をまとめたものなので、同時期の仕事。同氏は2004年2月に享年76歳で亡くなったので、同氏の最後の思想が窺える。

 古文書返却といっても、それがなんのことか、イメージがわかないと思うが、手短にいうと、1950年に大学を卒業した網野善彦は、東京月島(中央区)の日本常民文化研究所(宮本常一も深く関与した)の月島分室に就職した。同年から同分室が閉鎖される1955年までの間、同分室が全国から集めた古文書が、未返却のまま残った。その返却を網野善彦らが1980年代から行った記録が本書。

 返却の旅では多くの人々(古文書の所蔵家がまだ健在の場合もあれば、亡くなった場合もある)とのドラマがあった。多くは感動のドラマだ。そこに網野善彦の前記のような人間性が滲み出る。

 もしわたしが網野善彦の身近にいたら、きっと心酔したと思う。
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