東京シティ・フィルのティアラこうとう定期演奏会に行った。指揮は高関健。曲目はベートーヴェンの「コリオラン」序曲とピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏は阪田知樹)そしてチャイコフスキーの「くるみ割り人形」第2幕(全曲)。
「コリオラン」序曲は内声部の動きもバスの動きも明瞭に聴こえる演奏。いかにも高関健と東京シティ・フィルらしい演奏だった。ただ、惜しむらくは、音の輪郭が鈍かった。このコンビならもっと鮮明な音が出るはずだ。
高関健はプレトークで、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」について、「この曲は『皇帝』なんて名前が付いているけれど(もちろんベートーヴェン自身が付けた名前ではなく、後世の人が付けた名前だが)、じつはベートーヴェンには珍しいほど幸福感に満ちた音楽ではないかと思う。リハーサルのときにソリストの阪田知樹さんにそう言ったら、坂田さんも『そう思う』と言ったので、今日はそう演奏します」と話していた。
わたしはその話が腑に落ちた。わたしは今までベートーヴェンの5曲のピアノ協奏曲の中でこの曲が一番苦手だったが(聴いている途中で退屈することがあった)、そう言われるとこの曲の真の姿がつかめたような気がした。
第1楽章の展開部の滔々と流れるような音楽(=演奏)を聴いていると、幸福感が次第にこみ上げる音楽のように感じられた。さらに白眉は第2楽章だった。ピアノとオーケストラの静かな対話は、親密な二人(恋人同士だろうか)の甘美な語らいのように聴こえた。
阪田知樹のアンコールが演奏された。甘美に装飾された音楽だ。リストだろうかと思った。阪田知樹がリストを主要なレパートリーにしているからかもしれない。ただ、リストにしては曲が短いとも思った。帰りがけにロビーの掲示を見たら、「ラフマニノフ(阪田知樹編)『ここは素晴らしい場所』12の歌Op.21から第7曲」とあった。
「くるみ割り人形」第2幕は焦点の合った、すばらしい、そして楽しい演奏だった。弦楽器は12型だったが、十分によく鳴った。管楽器(とくに木管楽器)が大活躍だった。たぶん高関健が意識的に木管楽器を強調していたのだと思う。木管楽器を追うだけでも楽しかった。また、オーケストラがピットに入っていないからだろうか、チェレスタがよく聴こえた。チェレスタは例の「金平糖の踊り」だけではなく、全編を通して、あちこちでアルペッジョをつけたりして、大活躍なのを知った。
当日は全席完売だった。地元の人々の熱い支持を感じた。
(2025.3.20.ティアラこうとう)
「コリオラン」序曲は内声部の動きもバスの動きも明瞭に聴こえる演奏。いかにも高関健と東京シティ・フィルらしい演奏だった。ただ、惜しむらくは、音の輪郭が鈍かった。このコンビならもっと鮮明な音が出るはずだ。
高関健はプレトークで、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」について、「この曲は『皇帝』なんて名前が付いているけれど(もちろんベートーヴェン自身が付けた名前ではなく、後世の人が付けた名前だが)、じつはベートーヴェンには珍しいほど幸福感に満ちた音楽ではないかと思う。リハーサルのときにソリストの阪田知樹さんにそう言ったら、坂田さんも『そう思う』と言ったので、今日はそう演奏します」と話していた。
わたしはその話が腑に落ちた。わたしは今までベートーヴェンの5曲のピアノ協奏曲の中でこの曲が一番苦手だったが(聴いている途中で退屈することがあった)、そう言われるとこの曲の真の姿がつかめたような気がした。
第1楽章の展開部の滔々と流れるような音楽(=演奏)を聴いていると、幸福感が次第にこみ上げる音楽のように感じられた。さらに白眉は第2楽章だった。ピアノとオーケストラの静かな対話は、親密な二人(恋人同士だろうか)の甘美な語らいのように聴こえた。
阪田知樹のアンコールが演奏された。甘美に装飾された音楽だ。リストだろうかと思った。阪田知樹がリストを主要なレパートリーにしているからかもしれない。ただ、リストにしては曲が短いとも思った。帰りがけにロビーの掲示を見たら、「ラフマニノフ(阪田知樹編)『ここは素晴らしい場所』12の歌Op.21から第7曲」とあった。
「くるみ割り人形」第2幕は焦点の合った、すばらしい、そして楽しい演奏だった。弦楽器は12型だったが、十分によく鳴った。管楽器(とくに木管楽器)が大活躍だった。たぶん高関健が意識的に木管楽器を強調していたのだと思う。木管楽器を追うだけでも楽しかった。また、オーケストラがピットに入っていないからだろうか、チェレスタがよく聴こえた。チェレスタは例の「金平糖の踊り」だけではなく、全編を通して、あちこちでアルペッジョをつけたりして、大活躍なのを知った。
当日は全席完売だった。地元の人々の熱い支持を感じた。
(2025.3.20.ティアラこうとう)