Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ガンジスに還る

2018年11月07日 | 映画
 あれはなんの映画だったか、今ではもう記憶にないが、なにかの映画を観にいったとき、遠藤周作原作の映画「深い河」(熊井啓監督)の予告編を観た。短い映像だったが、その中のガンジス河に沐浴する人々のシーンが、今も記憶に残っている。調べてみると、その映画は1995年の製作なので、今から20年以上も前のことだ。

 そのせいだろうか、新聞で映画「ガンジスに還る」の紹介を読んだとき、観てみたいと思った。ヒンドゥー教の聖地「バラナシ」。ガンジス河に面したその地で死ぬと解脱を得られるという。本作はそのバラナシを訪れる父と息子の物語。

 父ダヤは、自らの死期を悟り、家族に「バラナシへ行く」と告げる。戸惑う家族。仕方なく、息子ラジーヴが仕事を休んで、付き添うことになる。バラナシに着いた二人は、安らかな死を迎えようと同地を訪れる人々のための宿「解脱の家」に部屋を取る。父と息子のぎくしゃくした生活が始まる。

 宿の規則では、滞在は最長15日とされているが、すでに18年間も滞在している老女がいる。それがいかにもインドだな、と感じるのは、わたしの偏見が混じっているかもしれないが、ともかく一筋縄ではいかない混沌とした日常がそこにある。

 本作には父と息子の和解の物語という側面があることは、容易に想像がつくと思うが、その和解のプロセスが、ゆっくりと、行きつ戻りつしながら描かれる。わたし自身の亡父との想い出も蘇ってきた。それはわたしだけではなく、多くの男たちの永遠のテーマだろう。

 また本作は聖地バラナシを、宗教的に特別な意味をもつ地であるよりも、そこに集まる(観光客を含めた)多くの人々を相手にして聖地ビジネス(上記の「解脱の家」もその一例だ)で成り立っている地として、ユーモアを交えて描いている。その「俗っぽさ」が生きいきとしている。

 そういう描き方ができたのは、監督がインド人だからだろう。外国人だったらそうはいかなかったと思う。監督はシュバシシュ・ブティアニという1991年生まれの若い人だが、若さの気負いとか、思い込みとか、そういったことは一切なく、肩の力を抜いた、心の襞の多い作品になっている。

 息子ラジーヴを演じているのはアディル・フセイン。父との葛藤、家族との軋轢、仕事の悩みなど、多くの心配事を抱えた男を繊細に演じていて共感できる。
(2018.11.6.岩波ホール)

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