Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

小泉和裕/都響

2017年10月25日 | 音楽
 小泉和裕指揮都響は、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番とフランクの交響曲というプログラム。バルトークとフランクとはわたしの好きな作曲家で、しかもバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番は、バルトークの中でもとくに好きな作品の一つなので、期待していた演奏会。

 ヴァイオリン独奏はアリーナ・イブラギモヴァ。わたしは未知の演奏家だったが、すでに何度か来日して、ファンも多いようだ。演奏が始まると仰天したが、思い入れたっぷりの音とフレージング。バルトークのヨーロッパ時代最後の作品の一つで、アメリカに渡ってからの平明・清澄な作風を先取りしている、とかといわれるこの曲のイメージを一変する濃厚な演奏だ。

 そのような演奏は最後まで続いた。わたしは目を見張った。その熱量に圧倒され、少し持て余した。だが、ひじょうに肯定的に捉えた。イブラギモヴァがこの曲に注ぎ込む思いの熱さというか、むしろ生命の燃焼のようなものを受け取った。

 その演奏スタイルから、今夏のザルツブルク音楽祭で聴いたモーツァルトのオペラ「皇帝ティトの慈悲」の指揮者テオドール・クルレンツィスと、フランスの作曲家ジェラール・グリゼーの連作管弦楽曲「音響空間」の指揮者マキシム・パスカルとを思い出した。二人とも思い入れたっぷりの指揮だった。

 この先はわたしの仮説だが、世界の演奏の第一線では、このようなスタイルの演奏家が現れているのではないだろうか。演奏しているその曲に心酔し、自分のすべてを注ぎ込むような演奏。それはけっして主情的というのではなく、むしろ主知的・主情的という分類には収まらない演奏スタイル。

 一方、残念ながら、小泉和裕の指揮はそのようなヴァイオリン独奏には無反応だった。これがもしパーヴォ・ヤルヴィだったら、丁々発止の(たとえは悪いが)ボクシングの打ち合いのような壮絶な演奏になったのではないかと想像した。

 なおこの曲には、最後の終わり方について、バルトークの当初案と、初演の際の独奏者セーケイの求めに応じて変更した版(通常はこの版で演奏)があるそうだ。今回は当初案での演奏。

 2曲目のフランクの交響曲は、まるでワーグナーのように重くて厚い音と粘りのあるリズム、そして物々しい表情。こんなことをいっては申し訳ないが、何かフランクの音楽を誤解しているような感じがした。
(2017.10.24.サントリーホール)

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