Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ第3回

2010年11月12日 | 音楽
 東京シティ・フィルの11月定期は常任指揮者の飯守泰次郎さんと取り組んでいる「ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ」の第3回。今回のプログラムは次のとおりだった。
(1)ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番
(2)ベートーヴェン:交響曲第1番
(3)ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

 このシリーズも3回目になって、多くの音楽ファンに知られてきたのだろう、会場には多くの聴衆が集まっていた。ざっとみたところ、8~9割は入っていたろうか。いつもは細々と頑張っているこのオーケストラ。さぞ嬉しいことだろう。

 1曲目の「レオノーレ」の第3番は、一言でいうと、かつての巨匠風の演奏。最初の音のずっしりした重みや、主部に入る直前のアッチェレランド等々。オーケストラにはほころびが目立ち、途中からは息切れした。それでも飯守さんのやりたいことはよくわかった。私たち聴衆の飯守さんへの理解も深まってきた、ということか。

 交響曲第1番は、オーケストラともども、迷いのない、確信にみちた演奏だった。第1楽章は、音を短く切って、アクセントを強くつけた演奏。第2楽章は一転してなめらかな口調で始まったが、基本は変わらなかった。第3楽章はメヌエットと名付けられているが、実質はスケルツォだと、よくいわれる。まさにそのとおりの演奏だった。大きく構えたベートーヴェンらしい音楽だと実感。第4楽章も大きな音楽だ。ティンパニの気迫のこもった叩き。ベートーヴェンはティンパニの改革者だ。

 全体的に飯守さんの情熱が伝わってくる演奏。こんなに本気になった第1番をきくのは初めてだと思った。

 「英雄」は、ゆったり構えながらも、確かな内実がそなわった演奏。とくに第2楽章の葬送行進曲では実に痛切な音楽がきこえてきた。ベートーヴェンは、英雄交響曲(Sinfonia eroica)と名付けたこの交響曲に、なぜ葬送行進曲を組み入れたのだろう。その真意はなんだったのかと思った。

 葬送行進曲をききながら、リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」を思い出した。第二次世界大戦の末期、ベルリン、ドレスデン、ミュンヘン、ウィーンなどの街が次々に破壊されていく日々にあって、老シュトラウスが暗澹たるおもいで書いた曲だ。この曲は、実のところ、ベートーヴェンの葬送行進曲のパラフレーズだ。そのときの老シュトラウスのおもいが想像できる気がした。
(2010.11.11.東京オペラシティ)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« やけたトタン屋根の上の猫 | トップ | アンドレア・シェニエ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽」カテゴリの最新記事