Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ネトピル/読響

2019年11月30日 | 音楽
 ヤクブ・フルシャとともにチェコ・フィルの首席客演指揮者を務めるトマーシュ・ネトピルの読響初登場の定期。1曲目はモーツァルトの「皇帝ティートの慈悲」序曲。はっきりした輪郭をもち、背筋の伸びた演奏で、いかにもオペラ・セリアの序曲らしい好演だ。

 一旦オーケストラが退場して、舞台の照明が落ち、指揮台の横の独奏者席にスポットライトが当たる中、チェロのジャン=ギアン・ケラスが登場して、リゲティの「無伴奏チェロ・ソナタ」。リゲティが西側に亡命する前の作品だ。バルトークやコダーイの流れを留めた曲想がしみじみと演奏された。

 舞台の照明が明るくなり、オーケストラが再登場して、リゲティの「チェロ協奏曲」。リゲティが西側に亡命して間もない頃の作品。同時期のオーケストラ作品「ロンターノ」と同様、透明な音響の極限を目指した曲だ。「ロンターノ」は読響がカンブルランの指揮で2013年12月に演奏した。わたしは息を殺してそのときの演奏を聴いた。音楽が音楽として成立するギリギリのところに触れる思いがした。今回その演奏を彷彿とさせる演奏だった。

 ケラスのアンコールがあった。バッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「サラバンド」。極度の緊張から解き放され、ホッと息をつくことができた。

 プログラム後半はヨゼフ・スークの「アスラエル交響曲」。全5楽章、演奏時間約1時間の大曲だ。以前フルシャが都響でこの曲を演奏したが、わたしは残念ながら聴きそこなった。それ以来気になっていた曲だが、今回思いがけずネトピルの指揮で聴く機会が訪れた。

 長大なだけではなく、ドラマの筋が追いにくい曲だが、それをネトピルは少しも弛緩させず、確信をもって、明確にドラマを描いた。途中で道に迷うことなく、しかも複雑に入り組んだドラマの筋を単純化せずに、あらゆるニュアンスを克明に描いた演奏。時折現れる後期ロマン派風の濃厚な響きが、わたしにはとくに興味深かった。ドヴォルザークの娘婿でマルティヌーを教えたスークの、そのチェコ音楽の文脈だけでは捉えきれない一面を垣間見る思いがした。

 読響の合奏力も見事だった。起伏に富んだ演奏の、そのどこをとっても焦点が合っていた。音に神経が通い、雑なところがなかった。今シーズンの読響の演奏の中では、セバスティアン・ヴァイグレが振ったハンス・ロットの「交響曲」とともに、最大の成果にあげられると思う。

 ゲスト・コンサートマスターに入った白井圭の艶やかなソロも光った。
(2019.11.29.サントリーホール)

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