Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ブーレーズ追悼

2016年01月08日 | 音楽
 2015年のザルツブルク音楽祭では、ブーレーズの90歳を祝って、ブーレーズの作品が集中的に演奏された。その中にシルヴァン・カンブルラン指揮クラング・フォーラム・ウィーンの「ル・マルトー・サン・メートル」の演奏会があった。それを聴きたいと思ったのがきっかけで、ザルツブルク音楽祭に出かけた。

 演奏会は旧市街の真ん中にある大きな教会で行われた。残響が長い教会でこの作品がどう聴こえるか、一抹の危惧があった。

 予想外だったが、すべての音が明瞭に聴こえた。どんなに微細な音でもきれいに聴こえた。時々発せられる強い音は、教会の大空間を震わせた。それは痛快でさえあった。

 その演奏を聴きながら、わたしはこの曲の音響がつかめたような気がした。ガラス細工のように繊細な音響。触れれば壊れてしまうような繊細さだ。しかもひじょうに上品な色彩。こういう音楽だったのかと思った。また、意外なことだが、手作りの感触があった。精巧な手仕事だと感じた。わたしの中のブーレーズのイメージが一新した。ブーレーズの核心に触れたような気がした。

 ブーレーズの作品は、若い頃のアンファン・テリブルのイメージとは裏腹に、ヨーロッパの伝統的なアルティザンの系譜につらなる側面を持つ作品として、将来は聴かれるのではないかと思った。

 ブーレーズはその演奏会に姿を見せなかった。かなり衰えているという噂が流れていたので、やはりそうなのかと思った。ザルツブルク音楽祭ではもう一つ、ピエール=ロラン・エマールのブーレーズのピアノ曲の演奏会も聴いたが(不確定性の要素を含んだピアノ・ソナタ第3番が殊の外面白く、わたしはこの作品に開眼した)、そこにも姿を見せなかった。そうとう具合が悪いのだろうと思った。

 なので、訃報に接しても驚かなかった。安らかな死であってほしい。ブーレーズの作品は今後も残るだろうことを、わたしは疑わない。その音の瑞々しさは、群を抜いている。あんな音を書いた人はいない。

 そして、指揮者としてのブーレーズ。若い頃から巨匠時代まで、どの録音を聴いても、卓抜した耳のよさが感じられる。多くの人がそれぞれの想い出を持っているだろうが、わたしには今、ベルクの「ルル」(チェルハ補筆版)とシェーンベルクの「モーゼとアロン」が想い出される。どちらもそれまでの演奏とは位相が違っていると感じた。今後これらのオペラの演奏の出発点になるのではないかと思った。

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2 コメント

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Unknown (猫またぎなリスナー)
2016-01-08 23:42:13
ザルツブルグでのご体験、大変羨ましく、また興味深く拝読しました。私も昨夜追悼文をアップしたところですが、指揮者としてのブーレーズに賛辞を捧げるべく3組の音源を挙げようと思い、ウェーベルン全集とベルクのルルはすぐ思いついたのですが、シェーンベルクはピエロかモーゼか、さんざん迷ってピエロについてコメントしたのでした。大兄の追悼文で、私が触れなかったそのモーゼとアロンに言及されていて、思わず微笑んでしまいました。
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Unknown (Eno)
2016-01-09 15:22:08
猫またぎなリスナー様
私も貴兄のブログを読ませていただきました。ピアノ・ソナタ第2番の譜面を取寄せて弾いてみたとは、凄いですね!!!私など及びもつきません。完全に脱帽です。プロのライターを含めて何人かの追悼文を読みましたが、貴兄のものが一番きちんとした評価を下していると思いました。貴兄に触発されて、私もいろいろ考え始めています。
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