Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

飯守泰次郎/読響

2021年07月22日 | 音楽
 飯守泰次郎が来日中止になった外国人指揮者の代役で読響の定期演奏会を振った。プログラムはモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。飯守泰次郎と読響がこれらの曲でどのような化学反応を起こすか‥。

 わたしは東京シティ・フィルの定期会員なので(読響の定期会員でもあるのだが)、飯守泰次郎の演奏はずいぶん聴いてきたが、今回の「ハフナー」はいままであまり聴いたことがない演奏様式だった。細身の音ですっきりした造形の、あえていえばスタイリッシュな感じのする演奏だった。わたしは事前に暖かみのある古風な音と堂々とした造形を予想していたので、その演奏は意外だった。予想と実際とのギャップはなぜ起きたのだろう。

 じつはわたしは、楽章を追うごとに、単調さを感じるようになった。指揮者がなにもしていないというと語弊があるが、読響のアンサンブルに任せて、もう一歩踏み込む積極性に欠けるように感じた。結果、飯守泰次郎らしくない珍しいモーツァルトになったような気がする。

 一転してブルックナーの「ロマンティック」は豪快な演奏になった。とくに金管が荒々しいまでによく鳴った。弦も「ハフナー」の12型から14型に増えたが、その数の増え方以上に鳴り方が変わった。ブルックナーにかぎらず、飯守泰次郎の演奏は一般的に、悠然と構えた演奏というよりも、アグレッシヴな面のある演奏だが、そのアグレッシヴな面に読響が反応した演奏だったような気がする。

 わたしは荒々しい音に戸惑ったが、楽章を追うごとに音にまとまりが出たので、だんだん落ち着いて聴けるようになった。とくに第4楽章のコーダは音の大伽藍というにふさわしい壮大な音が鳴った。飯守泰次郎が読響のそのような音を最大限に引き出そうとしたことはまちがいなく、飯守泰次郎自身その音を楽しんでいたのかもしれない。わたしはこの演奏を異色な体験として忘れないような気がした。

 だが、それにしても、その演奏には飯守泰次郎がシティ・フィルと演奏するときの、しっとりした意思疎通の感覚がないことを思った。それゆえのおもしろさがあったことは、すでに書いた通りだが、それはそれとして、むしろ飯守泰次郎がシティ・フィルのような手勢を得たことを祝すべきだろうと、いまは思う。

 指揮台には椅子が置かれていたが、飯守泰次郎はブルックナーの「ロマンティック」の第3楽章のトリオを除いて、立って指揮をした。音楽には老いが見られなかった。それがいまの聴衆の絶大な支持につながっているのだろう。
(2021.7.21.サントリーホール)

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