Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

城塞

2017年04月27日 | 演劇
 新国立劇場の演劇部門のシリーズ「かさなる視点―日本戯曲の力―」第2弾、安部公房の「城塞」を観た。

 同シリーズは3人の30代の演出家が昭和30年代の戯曲を演出するもの。敗戦後10数年たった当時の劇作家は戦争や日本をどう捉えていたのか。どんな問題を考え、どう表現していたのか。また、当時から50年以上たった今、なにが克服され、なにが未解決で残っているのか‥を問うシリーズ。

 もっとも、同シリーズは、企画段階では3人の30代の演出家というだけだったが、それら3人の演出家が選んだ戯曲が昭和30年代の戯曲だったそうだ。昭和30年代に3人の興味が向かったことには、なにか意味があるのだろうか。ともかく昭和30年代の戯曲が揃ったことで、同シリーズのコンセプトが明確になった。

 「城塞」は昭和37年(1962年)の作品。「国家とはなにか」と問いかける芝居は、今の時代から観ると生硬な感じがしないでもないが、生硬という言葉で済ますにしては、その問いかけは今も未解決だ。

 演出は1979年生まれの上村聡史(かみむら・さとし)。同氏の演出は2014年に同劇場が上演したサルトルの「アルトナの幽閉者」を観たが、それもディテールが丁寧に表現され、しかも焦点が合った好演出だった。今回も同様だ。

 登場人物は5人。「男」の山西惇、「男の妻」の椿真由美、「男の父」の辻萬長、「従僕(八木)」のたかお鷹、「若い女(踊り子)」の松岡依都美の5人は、いずれもこれ以上は望めないと思われる役者ばかりで、密度の濃い演技を繰り広げた。

 「男の父」は満州で企業経営に成功したが、敗戦直後の満州からの引き揚げの時点で記憶が止まり、今は認知症になっている。「男」は戦後、父の会社を引き継ぎ、大企業に成長させた。「男の妻」は「男」が父を入院させずに、邸内で世話していることに苛立つ。邸内では「男の父」のために、満州からの引き揚げを再現する演技が繰り返されており、亡くなった妹の役のために「若い女(踊り子)」が雇われる。

 牢獄のような下の部屋から現れる「男の父」は、オスカー・ワイルドの戯曲(あるいは同戯曲に基づくリヒャルト・シュトラウスのオペラ)「サロメ」のヨカナーンのように見えた。「男」はヘロデ、「男の妻」はヘロディアス、そしてストリッパーである「若い女(踊り子)」はサロメ。これは偶然の一致か。
(2017.4.25.新国立劇場小劇場)

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