Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カエターニ/都響

2018年06月12日 | 音楽
 オレグ・カエターニが都響を振るのは2009年以来これで4度目だそうだ。わたしは今までに2度聴いている。いずれもショスタコーヴィチがメインだった。今回はなんといっても矢代秋雄のチェロ協奏曲が注目の的だが、それ以外にもシューベルトとベートーヴェンでどのような演奏を聴かせるかが楽しみだった。

 1曲目はシューベルトの交響曲第3番。第2番とともにわたしの好きな曲だ。カエターニの演奏は、がっしりした骨格を持つ、いささか古風なもの。だが、大急ぎでいわなければならないが、古風という言葉は、けっして貶める意図ではなく、十分な敬意を込めた好感の表現だ。

 裏返していうと、ピリオド・スタイルとは対極にある演奏。わたしはピリオド・スタイルにも驚きと共感とをもって接しているが、同時にこのような古風なスタイルもあっていいと思った。わたしは1951年生まれだが、中学生や高校生の頃によくLPレコードで聴いた演奏を想い出して、懐かしく、心がほっこりした。

 2曲目は矢代秋雄のチェロ協奏曲。チェロ独奏は宮田大。いうまでもなく、大変な才能をもった、優秀な奏者だが、その宮田大が、この曲の演奏に使命感をもっているような、入魂の演奏を聴かせた。初演者の堤剛を引き継いで、この曲の伝道者たらんと志しているような気迫を感じた。

 話は脇道にそれるが、矢代秋雄の管弦楽を使った3作品、チェロ協奏曲とピアノ協奏曲と交響曲は、いずれも傑作だ。そのうちピアノ協奏曲は中村紘子の十八番だった。その演奏には鬼気迫るものがあった。それと同じように、宮田大がチェロ協奏曲を折に触れて演奏するようになるなら、これほど嬉しいことはない。

 カエターニもこの曲を高く評価しているとのこと。終演後はスコアを高く掲げて聴衆に示していた。

 3曲目はベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。これも1曲目のシューベルトと同様に、がっしりした骨格を持つ、現代では幾分古風に感じられる演奏だったが、わたしはそこに今の世相では死語のようになっている、ヒロイズムとか、正義の勝利のヴィジョンとかを感じた。

 カエターニの音楽観にはわたしがLPレコードで培った音楽観に通じるものがありそうだと思った。カエターニはいったい幾つなのだろうと、インターネットを検索してみたら、1956年生まれだった。わたしより若い。もっと年長だと思っていた。
(2018.6.11.東京文化会館) 

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