Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

わが町

2011年01月14日 | 演劇
 新国立劇場の新制作、ソーントン・ワイルダーの「わが町」。アメリカの架空の町を舞台にした芝居。そこに暮らす人々の平凡な日常を描いている。が、意外なほどに宇宙的な広がりや、気の遠くなるような、長い、長い時間的なスパンをもっている。死者と生者との交錯もある。人生とはなにかを考えさせる作品。

 演出は宮田慶子さん。緻密できめの細かい演出だ。正味2時間50分ほどの上演時間があっという間に過ぎた。考えてみると、「ヘッダ・ガーブレル」もそうだった。作品の性格はまったくちがうが、どちらも丁寧に仕上げられた舞台。

 「人生はこんなにすばらしいのに、だれもそれに気付かない。みんな忙しそうに過ごしていて、お互いの顔さえじっくりみていない。」大意ではこのようなメッセージが発せられる。私たちは、舞台をみているあいだは、ほんとうにそうだと思う。けれども劇場を出ると、また元に戻ってしまう・・・。作者にはそのペシミズムもあるようだが、今回の舞台はほのぼのとした気分で終わった。だれもが感動し、少し反省して劇場を出たはず。

 中劇場の9列目までをつぶして作った広い舞台。ありふれた椅子やテーブルや脚立などを除いて、大道具も小道具もない。コーヒーを飲んだり、芝を刈ったりする場面は、身振りで演じられる。それがまったく不自然ではない。大通りなどは照明で示される。大道具や小道具がない分、照明が雄弁だ。

 16人の老若男女からなる「町のひとびと」が、馬の足音や犬の遠吠えなどの擬音を出していた。これも手作り感があって面白い。

 稲本響さんのピアノ独奏も雄弁だった。クラシックでもなく、ポップスでもなく、明るく透明な音楽。プログラム上で「芝居の空気感と音楽が常に一体化したい」と語っている。まさにそれが実現されていた。とくに第3幕の美しさは特筆ものだ。

 進行役の「舞台監督」を演じた小堺一機さんが温かい味を出し、それを基調にそれぞれの役者さんが緊密なアンサンブルを形成していた。

 同劇場のホームページには「わが町」の特設サイトができている。そこには「わが町案内板」という担当スタッフのブログがある。翻訳の水谷八也さんが昨年11月から毎週水曜日に「水曜ワイルダー約1000字劇場」という連載をしている。この作品の斬新さや、シェイクスピアや能との関連が書かれていて興味深い。このような皆さんの熱意が結実した舞台だ。
(2011.1.13.新国立劇場中劇場)

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