今年は川端康成の没後50年に当たる。そうか、もうそんなになるか、と思う。川端康成の自死は衝撃だった。若い作家ならともかく、功成り名遂げた老作家が……。
没後50年を記念して、文学展が開かれたり、新たな研究が発表されたりしている。その報道に接するうちに、久しぶりに川端康成を読みたくなった。とはいえ、「伊豆の踊子」、「雪国」、「山の音」といった代表作には触手が伸びない。まず手に取ったのは「掌の小説」だ。「掌」は「てのひら」とも「たなごころ」とも読める。新潮文庫の解説では「てのひら」と読ませている。
「掌の小説」とは(短編小説よりもさらに短い)掌編小説のことだ。川端康成の掌編小説は一作当たり平均して400字詰め原稿用紙で7枚程度だ(作品によって多少のちがいがあるが)。川端康成は作家生活の初期から晩年にいたるまで掌編小説を書き続けた。その数は諸説ある(研究者によって「掌の小説」にふくめたり、ふくめなかったりする作品があるからだ)。新潮文庫には122篇が収められている。
122篇の中には駆け出しのころの作品もあれば、戦中戦後の世相を色濃く反映した作品もあり、また晩年に入ってからの作品もある。それぞれおもしろい。わたしが今回再読したのは晩年の中でも最晩年の作品群だ。
川端康成は昭和37年(1962年)11月10日から翌年8月25日までの朝日新聞PR版に10篇の掌編小説を発表した。また昭和39年(1964年)1月1日の日本経済新聞に1篇を発表した。さらに同年11月16日の朝日新聞PR版に1篇を発表した。それらの12篇が最後の作品群だ。各々の作品は透徹した世界を形作っている。まるで硬い結晶体のようだ。
それらの作品のどれか数篇を取り上げて、プロットを紹介してもよいのだが、その必要を感じない。どの作品もきわめて短いので、読めばすぐわかる。また作品の真価はプロットにあるのではなく、一切の無駄のない簡潔な文体にあるという気もする。
それらの掌編小説が上記のように朝日新聞PR版に掲載されたとき、そこには東山魁夷の挿画が添えられていた(川端文学研究会編「論考 川端康成―掌の小説」(おうふう、2001年発行)所収の武田勝彦『「乗馬服」』より)。そして興味深い点は、「不死」、「月下美人」、「地」、「白馬」の4篇は、まず東山魁夷の挿画ができて、川端康成はその挿画に合わせて掌編小説を書いたということだ。そのせいなのかどうなのか、「不死」と「地」は12篇中で(というよりも、すべての掌編小説の中で)もっとも幻想的だ。また「月下美人」では(最後のシーンに出てくる)二階のバルコニーでバイオリンを弾く令嬢の姿が、どことなく唐突だ。それはそのような(先に挿画ができたという)経緯があったからかもしれない。
没後50年を記念して、文学展が開かれたり、新たな研究が発表されたりしている。その報道に接するうちに、久しぶりに川端康成を読みたくなった。とはいえ、「伊豆の踊子」、「雪国」、「山の音」といった代表作には触手が伸びない。まず手に取ったのは「掌の小説」だ。「掌」は「てのひら」とも「たなごころ」とも読める。新潮文庫の解説では「てのひら」と読ませている。
「掌の小説」とは(短編小説よりもさらに短い)掌編小説のことだ。川端康成の掌編小説は一作当たり平均して400字詰め原稿用紙で7枚程度だ(作品によって多少のちがいがあるが)。川端康成は作家生活の初期から晩年にいたるまで掌編小説を書き続けた。その数は諸説ある(研究者によって「掌の小説」にふくめたり、ふくめなかったりする作品があるからだ)。新潮文庫には122篇が収められている。
122篇の中には駆け出しのころの作品もあれば、戦中戦後の世相を色濃く反映した作品もあり、また晩年に入ってからの作品もある。それぞれおもしろい。わたしが今回再読したのは晩年の中でも最晩年の作品群だ。
川端康成は昭和37年(1962年)11月10日から翌年8月25日までの朝日新聞PR版に10篇の掌編小説を発表した。また昭和39年(1964年)1月1日の日本経済新聞に1篇を発表した。さらに同年11月16日の朝日新聞PR版に1篇を発表した。それらの12篇が最後の作品群だ。各々の作品は透徹した世界を形作っている。まるで硬い結晶体のようだ。
それらの作品のどれか数篇を取り上げて、プロットを紹介してもよいのだが、その必要を感じない。どの作品もきわめて短いので、読めばすぐわかる。また作品の真価はプロットにあるのではなく、一切の無駄のない簡潔な文体にあるという気もする。
それらの掌編小説が上記のように朝日新聞PR版に掲載されたとき、そこには東山魁夷の挿画が添えられていた(川端文学研究会編「論考 川端康成―掌の小説」(おうふう、2001年発行)所収の武田勝彦『「乗馬服」』より)。そして興味深い点は、「不死」、「月下美人」、「地」、「白馬」の4篇は、まず東山魁夷の挿画ができて、川端康成はその挿画に合わせて掌編小説を書いたということだ。そのせいなのかどうなのか、「不死」と「地」は12篇中で(というよりも、すべての掌編小説の中で)もっとも幻想的だ。また「月下美人」では(最後のシーンに出てくる)二階のバルコニーでバイオリンを弾く令嬢の姿が、どことなく唐突だ。それはそのような(先に挿画ができたという)経緯があったからかもしれない。