Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

飯守泰次郎/東京シティ・フィル

2016年07月06日 | 音楽
 飯守泰次郎と東京シティ・フィルが続けているブルックナー交響曲ツィクルスの最終回。曲目は「テ・デウム」と交響曲第9番。演奏もこの順序。これは大賛成だ。ブルックナーがどう言ったかは別として、第9番の消え入るようなアダージョの後に「テ・デウム」が始まると、急に明るい世界に引き出される気がして戸惑うからだ。

 もう一つは、先に「テ・デウム」が演奏されると、曲の最後に出てくる交響曲第7番の第2楽章の音型が印象に残り(両曲は同時期に作曲された)、次の交響曲第9番の最後に引用される第7番の第1楽章の第1主題と呼応して、一つの円環が閉じるような感覚になるから。順序が逆だと‘閉じる’感覚にはならない。

 さて、その「テ・デウム」の演奏は意外に淡々と始まった。壮麗な始まり方ではなかった。以下も、ブルックナーの中でも特別な曲というよりは、ブルックナーの数ある宗教曲の中の一つというような平常心が感じられた。

 4人の独唱者の中ではテノールの福井敬の存在感が際立っていた。こんなにテノール主導の曲だったかと思う程だ。東京シティ・フィル・コーアの合唱は男声の厚みが欠けていた。

 次の交響曲第9番は、第1楽章の冒頭から、じっくり腰を据えた、構えの大きい演奏であることが感じ取れた。木管、金管の応答に奥行きがある。日常のレベルを超えた超絶的な演奏になる予感がした。

 徐々に各楽器が入ってきて、弦に細かい動きが出ると、最初のトゥッティに到達するが、そのトゥッティが金管を主体にしてホールを圧した。目の覚めるような充実した音。たんなる音響を超えた精神の高揚感が漲っていた。

 第2楽章は飯守泰次郎らしいアグレッシヴな演奏。率直にいうと、けっして老け込んでいないことが嬉しかった。第3楽章では途中で音が薄くなる箇所があったが、コーダに入ると持ち直し、最後の音が消えるまで緊張感が持続した。

 わたしは東京シティ・フィルの定期会員なので、飯守泰次郎をずっと聴いてきたが、その演奏はマルケヴィチ版のベートーヴェンの交響曲ツィクルスの頃に絶頂期を迎え、余勢を駆ったブルックナーの交響曲第4番と新国立劇場でのワーグナーの「パルジファル」で金字塔を打ち立てたと思う。その後、2015年の交響曲第8番と「ラインの黄金」では精彩に欠けたが、今回の交響曲第9番は、飯守泰次郎の新たな展開の可能性を示すものとして注目した。
(2016.7.5.東京オペラシティ)

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