Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/都響

2018年04月11日 | 音楽
 大野和士指揮都響のマーラーの交響曲第3番。大野和士は都響の音楽監督就任以来、都響のベースにはマーラーがあるものの、その周辺にもレパートリーを広げたいとの意思のもとで、自らはツェムリンスキーやフランツ・シュミットなどを手掛ける一方、マーラーはフルシャなどの客演指揮者に委ねることがあったが、今回は自らの指揮。

 第1楽章は、明暗のコントラストというか、光と影とがくっきり描かれた演奏。その対照が長大な楽章を一気に聴かせた。音楽の流れが錯綜することは皆無。つねに明晰な意識が働いている。フレージングは“しなる”よう。鞭がしなるような、そんな強靭な“しなり”がある。また、重心が低いので、音楽に安定感がある。

 第2楽章が、他の人たちの演奏と比べた場合、もっとも特徴的だった。むせかえるような芳香を放つ演奏。あまりの熱量に目を見張った。長大な第1楽章が終わった後のほっとするような、一息つく楽章ではなかった。

 帰宅後、プログラムを読んだら、奥田佳道の大野和士へのインタビュー記事が載っていた。奥田氏の「マーラーの交響曲第3番、知将大野和士、解釈のキモは?」との問いに、大野和士はこう答えている。

 「第2楽章です。力強く、決然とした楽章――ベートーヴェンの頃だったら交響曲ひとつ分のような第1楽章から、テンポ・ディ・メヌエット(の楽章)へ移るわけですが、あの間と、イ長調の第2楽章が第3番のキモですね。」と。第2楽章の重要性に着目する大野和士の見方が興味深い。

 第4楽章のニーチェによる「ツァラトゥストラの真夜中の歌」を歌ったのは、フィンランドの歌手リリ・パーシキヴィ。声の存在感はさほどないが、艶のある声でオーケストラに溶け込んでいた。矢部達哉のヴァイオリン、広田智之のオーボエ、それぞれのソロが光った。

 最後の第6楽章では、前述した光と影のコントラスト、明晰な意識、フレージングの“しなり”、重心の低さという特徴が表れ、これまた一気に聴かせた。神の愛に到達しようとして2度挫折し、しかしその2度目の挫折の直後に、天啓のように光が射す、そのフルートの音が、今回ほど意義深く聴こえたことはない。精霊の鳩が舞い降りるようだった。

 全曲を通してトロンボーンのソロが特筆ものだった。また第3楽章で舞台裏から聴こえるポストホルン(トランペットで代用)も安定していた。
(2018.4.10.サントリーホール)

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