Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

フルシャ&都響(Bシリーズ)

2010年12月15日 | 音楽
 都響のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任したヤクブ・フルシャをきいた。1981年生まれのチェコの若手。2008年5月に客演したが、そのときはきけなかった。今回のプログラムはチェコ音楽の王道をいくもの。

 1曲目はドヴォルジャークの序曲「フス教徒」。この曲と次のスメタナの交響詩「ブラニーク」とは同じ素材が使われている。フス教徒の聖歌。これはスメタナの交響詩「ターボル」にも使われている。連作「わが祖国」のなかでは、第5曲「ターボル」と第6曲「ブラニーク」に共通する素材だ。今回、シテュエーションが変わって、「フス教徒」と「ブラニーク」に共通するものとしてきくと、たいへん新鮮だった。美術館でも、作品の展示を変えると、同じ作品がまったく別のものにみえるのと似ている。

 演奏にはスケールの大きい構築感があった。そこに明るい活気がみなぎっている。クライマックスに向けて追い込んでいく呼吸は特筆ものだ。都響もまったく乱れずについていった。よく鳴っていたが、それがうるさくないのが見事。

 3曲目はマルティヌーの「リディツェへの追悼」。リディツェとは、ナチス・ドイツが村ごと地上から消滅させようとして、大虐殺をおこなったチェコの村だ。第2次世界大戦では無数の悲劇が生まれた。これもその一つ。マルティヌーは当時アメリカに亡命していた。報道で事件を知り、本作を書いた。シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」のような激しい告発ではなく、暗澹たる想いに落ち込むもの。

 この曲でもスケールの大きな歌い方が目を引いた。たとえていうなら、ステージの広大な空間に、暗い旋律が大きな弧を描くようだった。

 休憩をはさんで、最後はヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」。個々のフレーズは短くて断定的。それらが一貫した流れになり、ほかのだれにも似ていない、まったく独自の音楽となって現出する。部分的には、「シンフォニエッタ」はもちろんのこと、「利口な女狐の物語」や「死の家から」のエコーがきこえる。これはヤナーチェクの語法の集大成であるとともに、類例のない、ある種の絶対的な高みにたっした作品だ。

 演奏のスケール感と活気は前出の3曲と同じ。ヤナーチェク晩年の透明感というよりも、むしろ若いエネルギーが充満していた。独唱陣はチェコとスロヴァキアから招いた歌手たち。合唱は晋友会合唱団。大健闘。
(2010.12.14.サントリーホール)

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