太田記念美術館で「江戸の凸凹 ―高低差を歩く」というユニークな展覧会が開かれている。同館が所蔵する浮世絵の中から、高低差のある江戸の地形を捉えた作品を選んで展示したもの。昔も今も地形は変わらないので、現在の東京を作品に重ねて、その地形を再発見する面白さがある。
たとえばチラシ(↑)の最上段にある鯉のぼりの作品は、歌川広重の「名所江戸百景」から「水道橋 駿河台」という作品。題名のとおり、本作は現在の本郷台から水道橋と駿河台方面を見ている。鯉のぼりの尾ひれが掛かっている川が神田川。その向こうの緑色の土手が駿河台。チラシの図では原画の一部がカットされているので、はっきりわからないが、右端の鯉のぼりの竿の下のほうに水道橋が見える(本展のHPに原画が掲載されているので、そちらを見ると、はっきりする)。駿河台の奥に広がる町並みは飯田橋方面。富士山が見えるのは今も変わらない。
私事で恐縮だが、わたしが長年勤めた職場が駿河台にあったので、本作に描かれた緑の土手を見ると、「昔はこうだったのか‥」と感慨深い。通勤には水道橋駅を使っていたので、定時に帰れたときには、水道橋駅に向かって下りる坂道から、夕日がきれいに見えた。
本作でもわかるとおり、駿河台と本郷台は神田川をはさんで向かい合っている。つまり神田川が両者を分断して、深い谷間を作っている(今は神田川に沿ってJRの中央線と総武線が走っている)。その神田川は人工の川だったことを、本展で知った。
江戸時代に、神田山の台地を削って、神田川を通す大工事が行われたそうだ。その工事は仙台藩が担当した。大規模で、かつ難工事だったが、1661年に完成し、神田川が開通した。
再びチラシ(↑)に戻ると、中ほどに赤い横長の作品が掲載されているが、これも歌川広重の作品で、現在のお茶の水から水道橋方面を見たもの。赤い地肌がむき出しになっている。神田川をはさんで、左側が駿河台、右側が本郷台で、その上の道は湯島聖堂への道。神田川の先に掛樋が見えるが、今はない。その奥には水道橋が見える。
チラシ(↑)のさらに下の緑の多い作品も同一地点だが、少し下流の昌平橋からお茶の水方面を見ている。手前の崖が駿河台、奥の崖の上の道が湯島聖堂への道。
本展は江戸(東京)を地形として捉えた点が新鮮だ。地形は昔も今も変わらないが、高い建物が立ち並ぶ今の東京では、地形を意識することは少ない。
(2019.6.12.太田記念美術館)
(※)本展のHP
たとえばチラシ(↑)の最上段にある鯉のぼりの作品は、歌川広重の「名所江戸百景」から「水道橋 駿河台」という作品。題名のとおり、本作は現在の本郷台から水道橋と駿河台方面を見ている。鯉のぼりの尾ひれが掛かっている川が神田川。その向こうの緑色の土手が駿河台。チラシの図では原画の一部がカットされているので、はっきりわからないが、右端の鯉のぼりの竿の下のほうに水道橋が見える(本展のHPに原画が掲載されているので、そちらを見ると、はっきりする)。駿河台の奥に広がる町並みは飯田橋方面。富士山が見えるのは今も変わらない。
私事で恐縮だが、わたしが長年勤めた職場が駿河台にあったので、本作に描かれた緑の土手を見ると、「昔はこうだったのか‥」と感慨深い。通勤には水道橋駅を使っていたので、定時に帰れたときには、水道橋駅に向かって下りる坂道から、夕日がきれいに見えた。
本作でもわかるとおり、駿河台と本郷台は神田川をはさんで向かい合っている。つまり神田川が両者を分断して、深い谷間を作っている(今は神田川に沿ってJRの中央線と総武線が走っている)。その神田川は人工の川だったことを、本展で知った。
江戸時代に、神田山の台地を削って、神田川を通す大工事が行われたそうだ。その工事は仙台藩が担当した。大規模で、かつ難工事だったが、1661年に完成し、神田川が開通した。
再びチラシ(↑)に戻ると、中ほどに赤い横長の作品が掲載されているが、これも歌川広重の作品で、現在のお茶の水から水道橋方面を見たもの。赤い地肌がむき出しになっている。神田川をはさんで、左側が駿河台、右側が本郷台で、その上の道は湯島聖堂への道。神田川の先に掛樋が見えるが、今はない。その奥には水道橋が見える。
チラシ(↑)のさらに下の緑の多い作品も同一地点だが、少し下流の昌平橋からお茶の水方面を見ている。手前の崖が駿河台、奥の崖の上の道が湯島聖堂への道。
本展は江戸(東京)を地形として捉えた点が新鮮だ。地形は昔も今も変わらないが、高い建物が立ち並ぶ今の東京では、地形を意識することは少ない。
(2019.6.12.太田記念美術館)
(※)本展のHP