フランソワ=グザヴィエ・ロト(1971‐)が都響の指揮台に戻ってきた。フランス・バロックのラモーとルベル、そしてフランス近代のラヴェルという優雅なプログラムを携えて。ロトのプログラムはいつも狙いがはっきりしているが、今回もその好例だ。
1曲目はラモーの「優雅なインドの国々」組曲。全5曲で構成されたその個々の曲については記述を省くが、第1曲は序幕の「へーベーとその一行の登場」、第4曲に「未開人たちの踊り」が来て第5曲はフィナーレの「シャコンヌ」だった。
モダン・オーケストラでラモーをやるとどうなるか、という不安は事前にはあったが、いざ始まると何の問題もなく音楽に入って行けた。弦は10型で(コントラバスは+1)、チェンバロとテオルボ(ギター持ち替え)の通奏低音が入る。ファゴット4本が目を引いた。その編成で演奏されるラモーは照度が高く、明快なラインを描いてホールを満たした。各種の打楽器の賑やかなアクセントが気分を盛り上げた。
思えば、オーケストラの演奏会にバロック音楽が登場しなくなってから久しい。それはピリオド楽器の隆盛と軌を一にしているだろうが、ともかくそういう時代が続いているので、かえってバロック音楽が新鮮に感じられるようだ。しかもフランス・バロックなら(演奏機会が比較的少ないので)その新鮮さは倍加する。
だが、これは余談だが、昨年、一昨年と某日本人指揮者が(あえて名前は出さないが)ヨハン・セバスチャン・バッハやヨハン・クリスチャン・バッハを演奏するのを聴いたが、その演奏はカラヤン時代に逆戻りしたようなアナクロニズムを感じさせた。だから(と言いたいのだが)だれがやってもいいというわけではないだろう。明確な目的意識をもった指揮者(できればロト・クラスの!)と準備の整ったオーケストラの双方が揃ったときでないと成功しないだろう。
2曲目はルベルの「四大元素」。冒頭の強烈な不協和音が印象的な曲だが、あとはフランス・バロックのバレー曲が続く。弦は12型(コントラバスは+1)。第7曲で早いパッセージを演奏するパートが順次立ち上がって演奏する演出が楽しかった(しかもファゴット4人は同時ではなく、1拍?ごとに立ち上がる芸の細かさ)。
3曲目はラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲。都響のフランス音楽を聴くのは、というよりもフランス音楽らしい演奏を聴くのは、久しぶりだと思った。フルネの時代とはメンバーも相当変わっているだろうが、それでも伝統は生きているのか、ともかく都響のフランス音楽への適性を楽しんだ。
(2020.2.1.サントリーホール)
1曲目はラモーの「優雅なインドの国々」組曲。全5曲で構成されたその個々の曲については記述を省くが、第1曲は序幕の「へーベーとその一行の登場」、第4曲に「未開人たちの踊り」が来て第5曲はフィナーレの「シャコンヌ」だった。
モダン・オーケストラでラモーをやるとどうなるか、という不安は事前にはあったが、いざ始まると何の問題もなく音楽に入って行けた。弦は10型で(コントラバスは+1)、チェンバロとテオルボ(ギター持ち替え)の通奏低音が入る。ファゴット4本が目を引いた。その編成で演奏されるラモーは照度が高く、明快なラインを描いてホールを満たした。各種の打楽器の賑やかなアクセントが気分を盛り上げた。
思えば、オーケストラの演奏会にバロック音楽が登場しなくなってから久しい。それはピリオド楽器の隆盛と軌を一にしているだろうが、ともかくそういう時代が続いているので、かえってバロック音楽が新鮮に感じられるようだ。しかもフランス・バロックなら(演奏機会が比較的少ないので)その新鮮さは倍加する。
だが、これは余談だが、昨年、一昨年と某日本人指揮者が(あえて名前は出さないが)ヨハン・セバスチャン・バッハやヨハン・クリスチャン・バッハを演奏するのを聴いたが、その演奏はカラヤン時代に逆戻りしたようなアナクロニズムを感じさせた。だから(と言いたいのだが)だれがやってもいいというわけではないだろう。明確な目的意識をもった指揮者(できればロト・クラスの!)と準備の整ったオーケストラの双方が揃ったときでないと成功しないだろう。
2曲目はルベルの「四大元素」。冒頭の強烈な不協和音が印象的な曲だが、あとはフランス・バロックのバレー曲が続く。弦は12型(コントラバスは+1)。第7曲で早いパッセージを演奏するパートが順次立ち上がって演奏する演出が楽しかった(しかもファゴット4人は同時ではなく、1拍?ごとに立ち上がる芸の細かさ)。
3曲目はラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲。都響のフランス音楽を聴くのは、というよりもフランス音楽らしい演奏を聴くのは、久しぶりだと思った。フルネの時代とはメンバーも相当変わっているだろうが、それでも伝統は生きているのか、ともかく都響のフランス音楽への適性を楽しんだ。
(2020.2.1.サントリーホール)