丸谷才一の「女ざかり」を読んで、そのおもしろさに驚嘆したので、別の作品も読んでみようと思った。「女ざかり」は長編小説だったので、次は短編小説の「樹影譚」にした。これもおもしろかった。
出だしから人を食っている。「わたし」が登場して、「なぜかわからないが、無機質な壁に映る樹の影が好きだ」という話を始める。その理由をあれこれ考えるが、結局わからない。そのうち「わたしは小説家なのだから、いっそのこと、これを種に短編小説を作ろう」と考える。だが、その矢先、ナボコフだったか、だれかの短編小説(それがだれのものだったか、「わたし」も覚えていない)を読んで、自分の腹案とそっくりなので、書くのをやめる。でも、諦めきれない。そのうち、うろ覚えの短編小説の筋を語りだす、「たしかこんな筋だった」と。その短編小説にもう一度当たってみようと、ナボコフの短編小説集をひっくり返すが、見つからない。ナボコフの翻訳者にも問い合わせるが、「そんな作品は知らない」といわれる。手詰まりになったので、思い切って、自分の腹案を書くことにする。「もうこの腹案から手を切りたいのだ」と。
一体全体、以上の話は本当だろうか。たぶん虚構だろう。「わたし」は丸谷才一本人ではなく、ナボコフ云々も架空の話だろう。では、なぜこんな書き出しをしたのか。小説としては異例の書き出しだが、考えてみると、枠物語の機能を持っている。読者を滑らかに虚構の世界に引き入れる。だが、それに止まるだろうか。何かそれ以上の意味がある気もする。では、それは何だろう。
本作は全3章からなり、以上の書き出しは第1章に当たる。そこには「うろ覚え」のナボコフかだれかの短編小説の筋と、もう一つ、エドナ・オブライエンの短編小説に触れる箇所がある(筋は省略される)。第2章以下は「わたし」の腹案の作品化だが、そこには作家「古谷逸平」のいくつかの長編小説(構想中のものを含む)や文芸評論、講演原稿などの筋が出てくる。本作はそれらの筋の集積でもある。
わたしは古典的なSF小説「ソラリス」の作者スタニスワフ・レムを思い出した。レムには架空の本の書評集「完全な真空」や実在しない未来の本の序文集「虚数」がある(日本語訳も出ている)。本作の方法論(実在しない作品の筋の集積)は、レムに似ているのではないか。
本作はメタフィクション(フィクションについてのフィクション)的な性格が強い。ナボコフ云々の筋(たぶんナボコフのパロディー)は、第3章の要約になっていたことが、最後にわかる。
本作がおもしろいのは、その実験的な方法論のためだ。
出だしから人を食っている。「わたし」が登場して、「なぜかわからないが、無機質な壁に映る樹の影が好きだ」という話を始める。その理由をあれこれ考えるが、結局わからない。そのうち「わたしは小説家なのだから、いっそのこと、これを種に短編小説を作ろう」と考える。だが、その矢先、ナボコフだったか、だれかの短編小説(それがだれのものだったか、「わたし」も覚えていない)を読んで、自分の腹案とそっくりなので、書くのをやめる。でも、諦めきれない。そのうち、うろ覚えの短編小説の筋を語りだす、「たしかこんな筋だった」と。その短編小説にもう一度当たってみようと、ナボコフの短編小説集をひっくり返すが、見つからない。ナボコフの翻訳者にも問い合わせるが、「そんな作品は知らない」といわれる。手詰まりになったので、思い切って、自分の腹案を書くことにする。「もうこの腹案から手を切りたいのだ」と。
一体全体、以上の話は本当だろうか。たぶん虚構だろう。「わたし」は丸谷才一本人ではなく、ナボコフ云々も架空の話だろう。では、なぜこんな書き出しをしたのか。小説としては異例の書き出しだが、考えてみると、枠物語の機能を持っている。読者を滑らかに虚構の世界に引き入れる。だが、それに止まるだろうか。何かそれ以上の意味がある気もする。では、それは何だろう。
本作は全3章からなり、以上の書き出しは第1章に当たる。そこには「うろ覚え」のナボコフかだれかの短編小説の筋と、もう一つ、エドナ・オブライエンの短編小説に触れる箇所がある(筋は省略される)。第2章以下は「わたし」の腹案の作品化だが、そこには作家「古谷逸平」のいくつかの長編小説(構想中のものを含む)や文芸評論、講演原稿などの筋が出てくる。本作はそれらの筋の集積でもある。
わたしは古典的なSF小説「ソラリス」の作者スタニスワフ・レムを思い出した。レムには架空の本の書評集「完全な真空」や実在しない未来の本の序文集「虚数」がある(日本語訳も出ている)。本作の方法論(実在しない作品の筋の集積)は、レムに似ているのではないか。
本作はメタフィクション(フィクションについてのフィクション)的な性格が強い。ナボコフ云々の筋(たぶんナボコフのパロディー)は、第3章の要約になっていたことが、最後にわかる。
本作がおもしろいのは、その実験的な方法論のためだ。