Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ナッセン/都響

2015年09月30日 | 音楽
 オリヴァー・ナッセン指揮の都響のBプロ。じつに創意に満ちたプログラムだ。ナッセンのセンスが感じられる。奥田佳道さんがツィッターで「美しいプロ」と呟いていた。同感だ。

 1曲目はナッセンの自作「フローリッシュ・ウィズ・ファイヤーワークス」(1993)。ストラヴィンスキーの「花火」へのオマージュとのこと。たしかにそう感じられる。明るく鮮やかな光の明滅。「花火」の双子の作品とでもいったらよいか。オマージュの方法として、引用とか、再解釈という方法もあるが、こういうストレートな方法もありだし、むしろ新鮮な感じがした。

 2曲目はシェーンベルクの「映画の一場面への伴奏音楽」(1930)。映画といっても、特定の映画のための曲ではなく、架空の映画のための曲だ。「迫り来る危機、恐怖、破局」という副題が付けられている。作曲時期からいって、ナチスへの恐怖の控えめな表明であることは間違いない。

 シェーンベルクにこんな曲があったのかと思う。無声映画、とくにドイツの表現主義的な映画によく似合いそうだ。拍手に応えてナッセンが譜面をトントンと指で叩いた。ユーモアと作品への愛情が微笑ましい。

 3曲目は武満徹の「精霊の庭」(1994)。亡くなる2年前の曲。最晩年の作品の一つだ。タケミツ・トーンとはいっても、この曲になると、往時の色彩感は失せ、枯れたモノトーンを感じさせる。武満徹の最後の世界に胸を衝かれる。ナッセンはこの曲では、拍手に応えて、譜面を高々と掲げて見せた。感動的な情景だった。

 以上がプログラム前半で、後半はブラームスのピアノ協奏曲第2番だが、休憩中、トイレに行って席に戻ったら、ステージではだれかがピアノを試し弾きしている。あれはピーター・ゼルキンではないか。弱音で弾いているその音楽がじつに美しい。オーケストラの面々は音だしをしたいのだろうが、それをためらう人、構わずやってしまう人など様々。

 第1楽章冒頭のホルンのソロの後、ピアノが入ってくるその演奏が、先に進むよりも、音の構造を底の底まで見極めようとするような演奏だった。強靭な意思が働いている。父君のルドルフ・ゼルキンを髣髴とさせる。ピーターもそうなったかと感慨深い。

 ピアノの音色が独特だった。あれはなんだろうと、終演後、見に行った。スタインウェイだが、ものすごい年代物だ。ゼルキンが持ち込んだのだろうか。
(2015.9.29.サントリーホール)

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