Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

グレの歌

2013年02月24日 | 音楽
 シェーンベルクの「グレの歌」、尾高忠明さん指揮、東京フィルの演奏。東日本大震災の影響で中止になった演奏会の一つだ。最近、同様に中止になった演奏会の復活公演が垣間見られるが、これはそのなかでも大物――大物も大物、超大物――だ。

 ステージにはオーケストラが所狭しと並んでいる。この曲を生で聴くのは初めてではないが、さて、こんなに溢れかえるようだったっけと思った。弦楽器は20-20-16-16(メンバー表では16人だが、実際には15人だった)-12の編成。フルートは8本、あとは推して知るべし。ハープも4台だ。

 これだけ巨大なオーケストラだと、どういう音が出るかが、まずもって興味の的だった。トゥッティでは風圧のような音が迫ってきたが、これは予想の範囲内。それ以外のところでは、幾層もの音の帯が絡まり合いながら流れていく、といった様相を呈していた。そこには濃厚なものがあった。

 これは尾高さんの指揮とも相俟っていた。この曲は第1部・第2部のオーケストレーションの時期と、第3部のオーケストレーションの時期に大きな隔たりがあり、それはまたシェーンベルクの作風が大きく変化する時期に当たっていたわけだが、尾高さんの指揮で聴くと、第1部・第2部のほうが面白かった。濃厚なロマン主義の極致のような音楽だった。以前聴いた他の指揮者では、第3部のほうが面白かった。これは指揮者の体質の現われだ。

 これだけ巨大な編成でありながら、重たさを感じさせないことに注目した。尾高さんもプログラムで述べているが、東京フィルという一つのオーケストラで演奏できる最大の利点だ。その意味でもこれは稀有な体験だった。

 もっとも、歌手とのバランスでは、当然ながら難しい問題があった。とくにヴァルデマル王を歌った望月哲也さんは埋もれがちだった。ヴァルデマル王の部分ではオーケストラが咆哮するので、これは気の毒だった。一方、感銘を受けたのは、山鳩を歌った加納悦子さんだ。深く彫琢された歌だった。あの部分はオーケストラが比較的薄いこともあった。同様に語り(シュプレッヒゲザング)の妻屋秀和さんも、オーケストラがとくに薄いこともあり、十分聴かせた。

 新国立劇場合唱団の壮麗さは、それこそ生で聴かないとわからない類のものだった。巨大な編成のオーケストラともども、大合唱の生み出す音の、今ここにしかない質量があった。
(2013.2.23.オーチャードホール)

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