Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2018年05月21日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響のCプロは、楽しみにしていたプログラム。1曲目はヴェリヨ・トルミス(1930‐2017)という作曲家の「序曲第2番」(1959)。トルミスはパーヴォの祖国エストニアの作曲家。パーヴォは以前にもトゥール(1959‐)というエストニアの作曲家を紹介した。その一環だろう。

 「序曲第2番」は急―緩―急の3部形式の曲。その急の部分が、アンサンブルがぴったり合って、スリリングな、目の覚めるような演奏だった。パーヴォとN響との一体感が印象的な快演。

 2曲目はショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏はアレクサンドル・トラーゼ。オーケストラがチューニングを終え、聴衆がピアニストと指揮者の登場を待っていると、舞台の袖から大きな話し声が聞こえた。トラーゼがパーヴォに何か話している。思わず笑ってしまう。トラーゼってこういう人だったっけ?

 演奏はクリアーな音で疾走するすばらしいものだったが、わたしのイメージとは少し違っていた。トラーゼの音はもっと重量級だと思っていたのだが、重さよりも、光度の強さを感じさせる音。その音で感興にまかせて走っていく。パーヴォがそれにつけていく。ハラハラする箇所なきにしもあらず。

 第2楽章は、ショスタコーヴィチが書いた音楽の中でも、もっとも美しい音楽だと思うが、トラーゼの演奏は、もちろん美しいのだが、ショパン的な甘美さではなく、たとえば幼子イエスの誕生を見守る養父ヨゼフのような父性的な眼差しを感じさせた。

 終演後、トラーゼはまたパーヴォに何やら話しかけ、パーヴォも頷きながら、カーテンコールが続いた後に、パーヴォがトラーゼをピアノの前に座らせて、トラーゼが聴衆に何かを語ってから弾きだした曲は、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番から第3楽章。音の圧倒的なエネルギーが渦巻く名演だった。

 3曲目はブルックナーの交響曲第1番(1866年リンツ稿/ノヴァーク版)。2016年9月の第2番(1877年/キャラガン版)がすばらしかったので、期待していた。引き締まった筋肉質の音が、ブルックナー初期の“尖った”音楽にぴったり合い、寸分の隙もない演奏。

 樋口隆一氏のプログラム・ノートによると、ブルックナーはこの曲を終楽章から書き始めたようだ。ブルックナーはいつも終楽章に苦労しているように思っていたので、これは意外な事実だ。
(2018.5.19.NHKホール)

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