Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラルス・フォークト追悼

2022年09月10日 | 音楽
 ドイツのピアニストのラルス・フォークトが9月5日に亡くなった。享年51歳。2021年に癌が見つかり、闘病を続けながら演奏活動をしていたそうだ。最後は自宅で家族に見守られながら息を引き取ったという。ご冥福を祈る。

 51歳というとまだ働き盛りだ。だからなのだろう、わたしも少々ショックだった。訃報に接して以来、フォークトのCDを聴き続けている。にわか仕込みのわたしにフォークトの演奏を語る資格はないかもしれないが、CDを聴いて感じたことを書いてみたい。

 わたしがフォークトの実演を聴いた経験は2度ある。いや、2度しかないというべきだろう。来日回数の多いフォークトのことだから、その演奏を何度も聴いたファンも多いだろう。わたしはわずか2度だが、それでもフォークトの演奏は記憶に残っている。

 2度ともN響の定期演奏会だった。1度目は2013年10月にロジャー・ノリントンの指揮でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を聴いた。だが、このときは、聴いたというよりも、見たといったほうがいい。なにしろ楽器の配置に驚いたからだ。舞台中央にピアノが置かれ、フォークトは聴衆に背を向けて(通常なら指揮者がいる位置で)ピアノを弾く。ピアノの先にノリントンがいて、聴衆のほうを向いて指揮をする。ピアノの左右には弦楽器とトランペットとティンパニが配置され、指揮者のほうを向いて演奏する。木管楽器とホルンは指揮者の後ろで演奏する。

 この配置で音はどう聴こえるのか。わたしはそればかりが気になって、正直、フォークトの演奏がどうだったかは覚えていない。ただアンコールに弾かれたショパンのノクターン第20番嬰ハ短調の、弱音が完璧にコントロールされた繊細な演奏には衝撃を受けた。

 2度目は2016年9月にパーヴォ・ヤルヴィの指揮でモーツァルトのピアノ協奏曲第27番を聴いた。オーケストラの、終始弱音を維持して、不用意な音が鳴るのを避けるような(たとえていえば、羽毛が舞うような)演奏をバックに、フォークトは、ときに立ち止まり、音の陰影を確かめるような演奏をした。

 前述のように、この数日間フォークトのCDを聴いたが、シューベルトの「4つの即興曲」作品90 D.899に行き当たったとき、はっきりとそのときの演奏を思い出した。音楽の流れに身を任せるのではなく、音のすべてのニュアンスを吟味する演奏だ。あえて大胆にいえば、その演奏にはクララ・ハスキル、マリア・ジョアン・ピレシュにつながる要素を感じた。フォークトはそういうピアニストだったのか。いかつい風貌からは想像できない品位と内面性をもったピアニストだったのかもしれない。壊れやすく傷つきやすい内面をもっていた人だろうか。
コメント
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