Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

グルベローヴァ追悼

2021年10月20日 | 音楽
 グルベローヴァの逝去の報はショックだった……と書いて後が続かない。茫然自失といったらよいのだろうか。それとも、そんな大げさな言葉ではなくて、じっと目をつむって内面の言葉を探せばよいのか。

 グルベローヴァは10月18日にチューリヒで亡くなった。享年74歳。その逝去は遺族がミュンヘンのマネジメント会社に伝えた。今のところは以上のことしかわかっていない。死亡の原因はなんだったのだろう。

 グルベローヴァはわたしにとっても大事な歌手だった。生涯で出会ったもっとも偉大な歌手だったといってもいい。わたしはもうすぐ70歳になる。グルベローヴァからは多くのことを学んだ。プロでもない一音楽ファンの人生に大きな影響を与えたといったら、天国にいるグルベローヴァは笑うだろうか。

 昨日来、グルベローヴァの思い出をたどっている。最初にグルベローヴァを聴いたのは、1983年のザルツブルク音楽祭で「魔笛」を観たときだ。グルベローヴァは夜の女王を歌った。その名前はどこかで聞いたことがあるが、どんな歌手か、まったく知らなかったわたしは、初めて聴くグルベローヴァの声に驚嘆した。

 それ以来グルベローヴァのファンになった。来日公演に行ったり、海外でオペラを観たりした。忘れられないのは、2004年12月31日にウィーンで「こうもり」を観たときだ。事前の発表では「スペシャル・ゲスト」と書かれているだけで、それがだれなのか、明かされていなかった。わたしは「グルベローヴァだといいな」と思いながら劇場に行った。第2幕の舞踏会の場面でオルロフスキー侯爵がスペシャル・ゲストを紹介した。グルベローヴァだった。満場の観客は歓声を上げた。グルベローヴァはアリャビエフの「夜鳴き鶯」を歌った。観客の興奮はピークに達した。

 2014年7月27日にミュンヘンで「ルクレツィア・ボルジア」を観たときは、グルベローヴァのいつになくリスクをとった気迫満点の歌い方に驚いた。終演後、当時のインテンダントのバッハラーが舞台に上がり、グルベローヴァの同劇場デビュー40周年を祝うセレモニーを行った。答礼するグルベローヴァ。観客の拍手は30分以上も続いた。

 わたしはグルベローヴァを通じてドニゼッティやベッリーニなどのベルカントオペラの愉しさを知った。とくにベッリーニが好きになった。グルベローヴァがミュンヘンで歌った「清教徒」はいまでも鮮明に記憶している。グルベローヴァはわたしの音楽世界を広げてくれた。そのグルベローヴァが亡くなったとは……。なんだかあっけない亡くなり方だ。天国にむかって感謝の言葉を送りたい。
コメント
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