Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

桐野夏生「東京島」

2021年09月18日 | 読書
 桐野夏生の「日没」(2020年)と「バラカ」(2016年)を読んだ後、桐野夏生からいったん離れる前にもう一作と思い、「東京島」(2008年)を読んだ。

 「東京島」を選んだ理由は、谷崎潤一郎賞受賞作品だからだ。「日没」と「バラカ」はエンタメ小説的な性格があったので、そのような作風と純文学のイメージが強い谷崎潤一郎賞とがどう結びつくのか、戸惑った。

 読んでみると、「東京島」の作風は「日没」や「バラカ」と変わらなかった。「東京島」には喜劇的な面があり、「日没」と「バラカ」はシリアスな作品なので、その点は対照的だが、ストーリーの奔放さと文体の明確さは共通する。谷崎潤一郎賞の趣旨をあらためてチェックすると、「時代を代表する優れた小説・戯曲」とあり、純文学とかエンタメ小説とかの区別はなかったので、「東京島」は「時代を代表する」小説と認められたのだろう。

 「東京島」はどんな小説かというと……、隆と清子という夫婦がクルーザー船で航海中に嵐に遭い、南海の孤島に漂着する。そこは無人島だった。バナナやタロイモなどが豊富に採れる。食べ物には困らなかった。3か月後に日本人の若者23人が漂着した。与那国島のバイトから逃げ出したが、航海中に台風に遭い、流れ着いたようだ。さらに3年後には11人の中国人が何者かによってこの島に追放された。結果、30数名になった男たちの中で、女性は清子一人だった。

 そのような状況にあって、清子はどう生きるか。清子はサバイバルをかけて、打算と裏切り、その他なんでもありの行動をとる。けっして品の良い行動ではない。品の良さなど、文明のかけらさえないこの孤島では、腹の足しにもならない、といわんばかりだ。正直にいって、わたしの中には辟易する気持ちもなかったわけではないが、結局は清子の生き残りをかけたパワーに圧倒されて読んだ。

 「東京島」を読んでいて気付くのは、本作は(執筆当時の)平成の社会のパロディだということだ。だから谷崎潤一郎賞を受賞したのかもしれない。だが、意外にも、読後感は神話に近かった。荒ぶる神々の奔放な冒険譚を読んだような読後感が残った。

 ハッとしたのは最後の場面だ。ネタバレ厳禁なので、具体的な記述は避けるが、最後の場面では生き残った人々が子どもたちに孤島での体験を語る。ところが、奇妙なことに、その体験談はリアルな出来事の毒が薄められ、人畜無害な物語になっている。それが正史になるのだろう。一方、正史の誕生にともない、リアルな体験は神話になる。わたしは石川淳の「修羅」を思い出した。「修羅」は戦国時代の下剋上を描いた作品だが、リアルな出来事と正史との断層を問いかける。その点で「東京島」は「修羅」に似ている。
コメント
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