Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

友人がいたアパート

2021年09月09日 | 身辺雑記
 用事があって大田区立蒲田図書館に行った。蒲田図書館はJR蒲田駅から徒歩で15分ほどだ。駅前の繁華街を抜けて、昭和の雰囲気が残る街並みを行く。わたしの中学時代の友人がその一角の木造アパートに住んでいた。わたしが生まれ育った家は多摩川沿いにあり、友人が家族と住むそのアパートまでは徒歩で30分くらいかかったが、中学から高校のころはよく遊びに行った。

 蒲田図書館に着くと、場所が少し移っていた。かつては区立体育館に隣接していたが、いまはその近くに建て替えられていた。体育館も建て替えられていた。体育館も図書館も友人がいたアパートから徒歩で1~2分だ。かつては壊れかけた柵をくぐって行くのが近道だったが、いまでは広い道になっていた。

 図書館を出た後、友人がいたアパートに行ってみた。友人は1985年に34歳で亡くなった。癌だった。友人のアパートはなくなっていた。友人が住んでいたころから古びた時代遅れのアパートだったので、なくなったのは当然だが、跡地と思われるあたりにたった民家が(こういっては申し訳ないが)いまにも崩れそうな外見なので、時間の経過を呑み込めずに当惑した。

 友人の家族は、友人と両親と弟の4人だった。その4人がたぶん4畳半と6畳だったと思うが、二間に住んでいた。小さな台所が廊下にあった。トイレは共同だった。昭和の時代にはそのようなアパートに住む家族は当たり前のようにいた。お父様は共産党員だった。佐世保でパージにあい、東京に出てきたそうだ。小柄で温厚なお父様だった。お母様も優しかった。わたしは自分の家にいるよりも友人の家族といるほうが心地よかった。

 そのアパートは想い出がいっぱいつまったアパートだった。それがなくなり、跡地を見ても、アパートがたっていたあたりに家が乱雑にたっているので、昔の記憶がよみがえらず、それがショックというよりも、諦めに似た気持ちを感じた。

 近所の酒屋に見覚えがあった。当時もあったような気がする。ある日、友人とわたしで、お互いに金がなかったので、ジンを買った。その店はこの店ではなかったか。友人のアパートでジンを飲んだ。葉っぱ臭かった記憶がある。

 蒲田駅への帰り道は吞川沿いに歩いた。ドブ川の匂いがした。浚渫工事をしているので、そのせいかもしれないが、ともかく匂う。昔の記憶がよみがえった。友人のアパートへ行くには呑川を渡るのだが、そのときも匂った。蒲田の繁華街に戻った。友人とよく行ったパブも喫茶店もいまはないが、雑然とした繁華街には、昔の雰囲気が残っていた。
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