Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2021年06月18日 | 音楽
 パーヴォが戻ってきたN響はやっぱり違うと思った。音がシャープになり、持てる力を十二分に発揮する。N響ほどの基礎的なアンサンブル能力があるオーケストラでも、やはりこうなのだ。わたしは4月にラザレフが戻ってきた日本フィルを思い出した。コロナ禍に喘いだこの1年間、どのオーケストラも日本人指揮者を次々に起用し、極力多彩なプログラムを組むよう努めてきたが、やはりそれには限界があるのだ。

 1曲目のアルヴォ・ペルト(1935‐)の「スンマ」(1977/91)は、コロナ禍に苦しんだ指揮者とオーケストラ、そして聴衆にとって(その三者の再会にとって)、なんとふさわしい曲かと思った。演奏時間5分ほどの短い曲だ。静謐な音が胸にしみる。原曲は無伴奏合唱曲(1977年)だが、それを弦楽合奏用に編曲した(1991年)。スンマという語句の意味はプログラムノートには記載されていなかったが、無伴奏合唱曲のときの歌詞はミサ典礼文のクレドからとられているそうだ。

 2曲目はシベリウスのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏は青木尚佳(あおき・なおか)。若いヴァイオリン奏者だ。2021年1月からミュンヘン・フィルのコンサートマスターに就任している。N響との共演は3度目だそうだ。

 音がつねにクリアに聴こえる。たしかに優秀なヴァイオリン奏者だが、わたしには欲求不満が残った。どこか突き抜けるものがないのだ。言い換えるなら、ドラマの凄みの点でオーケストラに負けていた。オーケストラのほうが音楽のダイナミズムでヴァイオリンを凌駕していた。アンコールにイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番から第3楽章が演奏された。これも美しかったが、淡々とした印象は否めなかった。

 3曲目はニルセンの交響曲第4番「不滅」。コロナ禍を耐え忍んだこの1年間を締めくくるに当たりなんとふさわしい曲か、といいたいところだが、そんな感傷は排して、きわめて近代的な感覚の演奏をするのが、パーヴォのパーヴォたる所以かもしれない。鮮やかな音色、ソリスティックな動き、曲想の変化の俊敏性など、パーヴォの捉えたニルセンの特徴が明確に示された。N響の反応のよさも特筆ものだ。目覚めたN響といったら失礼だが、そんな感じがした。

 周知のように、この曲には2人のティンパニ奏者が起用され、曲の最後でティンパニの連打の応酬が展開される。わたしは打楽器をやっていたので、垂涎の曲なのだが、今回のティンパニ奏者はN響の植松さんと、なんと元読響の菅原さんが登場した。植松さんは現役では最高峰のティンパニ奏者だと思うし、菅原さんはわたしの長年の憧れだった。そのお二人が同じ舞台に立つ光景は、わたしの目に焼きつき、けっして忘れることはないだろう。
(2021.6.17.サントリーホール)
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