Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鈴木秀美/東京シティ・フィル

2016年01月18日 | 音楽
 鈴木秀美が客演指揮した東京シティ・フィルの定期。実兄の鈴木雅明はすでに何度か同フィルを指揮しているが、鈴木秀美は初めてだ。バロック・チェロ奏者としての名声を確立し、また近年はオーケストラ・リベラ・クラシカの指揮者としても活動しているが、さて、既成のオーケストラを振るとどうなるか。

 1曲目はハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」。鈴木秀美が登場し、拍手を受けて、指揮台に上ろうとしたそのとき、ティンパニの派手なソロが始まった。ソロが終わるのを待ってから序奏が始まった。愉快な演出だ。

 熱い演奏。ハイドンで「熱い」という表現は違和感があるかもしれないが、鈴木秀美も東京シティ・フィルも渾身の熱演だった。

 演奏が終わって、鈴木秀美がティンパニ奏者に拍手を受けさせた。ところが、2階右側のわたしの席からは、奏者が見えない。だれだろうと思って身を乗り出した。元読響の菅原淳氏だった。どうりでピシッと決まった演奏だった。センスの良さが抜群だ。楽器はバロック・ティンパニだった。

 言い忘れたが、弦楽器の配置は、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンの順で、コントラバスはステージ正面の一番奥(木管楽器の後ろ)だった。当然コントラバスの動きが目立つ。しかもそれを意識しているのだろう、時々コントラバスの動きをはっきり浮き上がらせていた。

 2曲目はシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。驚いたことに、第1楽章の提示部を繰り返した。それだけではない。第4楽章の提示部も繰り返した。それでなくても長いこの曲が、否が応でも長くなる。もちろんこれがシューベルトの指定なのだろう。

 シューマンのいう「天国的な長さ」とは、曲想に由来するというよりも、物理的な長さを意味するのかもしれない。そんな即物的なことを考えながら聴いた。身も蓋もないことかもしれないが。

 では、長さに耐えるだけのニュアンスの豊かさとか、何かそんな繊細さがあったかというと、残念ながらそうとはいえない。ハイドンと同様に熱演だったが、反面、荒削りな演奏でもあった。それがオーケストラのせいか、指揮者のせいかは、即断できないが。鈴木秀美の指揮には初めて接したが、――変なたとえで恐縮だが――兄の鈴木雅明がA型的な指揮だとすれば、鈴木秀美はB型またはO型的だと思った。
(2016.1.16.東京オペラシティ)
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