Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

バーン=ジョーンズ展

2012年08月03日 | 美術
 バーン=ジョーンズ展へ。今まであまり馴染みのなかった画家だ。ぼんやり19世紀イギリスのラファエル前派の一人と思っていた。厳密にはそうとはいえないらしい。でもたとえばロセッティの描く女性(目が大きく、あごが尖って、鼻が高く、上唇が鼻に迫っている女性)と同じような女性が出てくることもたしかだ。

 バーン=ジョーンズの作品をまとめて見ることができて、その面白さがわかった。なるほど、こういう画家なのか、という認識を得ることができた。だがその面白さを説明することはむずかしい。なぜだろう――。

 バーン=ジョーンズの作品はほとんど例外なく、ギリシャ神話、聖書、中世の物語などに取材している。だからこれらの背景を知らないと、なにが描かれているのかわからないちょっと厄介な画家だ。その点では日本で展覧会が開かれることはありがたい。作品の背景を日本語で説明してもらえるからだ。

 背景がわかったうえで、バーン=ジョーンズの作品に向き合うと、いろいろな特徴があることに気付く。アットランダムにあげるなら、人物はすべて美男美女であること。男性も女性も美しい。だが、こちらとはかけはなれた存在なので、感情移入はむずかしい。しかも表情が硬い。感情をむき出しにはしていない。さらにどの人物も視線を合わせていない。どこまでいっても交わらない視線。

 ある一線を引いたところで成り立つ人間関係。こちらもそれをよしとして、ある一線を引いて観賞しないと、これらの作品は味わえないと思った。

 それを呑み込むと、独特の味わいがあることもたしかだ。それをメランコリーといってもよいし、わたしには縁がないが、イギリス上流社会の趣味かもしれない。

 一点だけあげるなら、「眠り姫」は大傑作だ。シャルル・ペローやグリムの童話になっている「眠りの森の美女」の一場面。縦126cm×横237cmの大画面に、眠り姫が横たわっている。枕元に一人の侍女、足元に二人の侍女がいる。それらの侍女も眠っている。眠り姫の向こうには緑色のカーテンがある。カーテンからはバラの花がこぼれている。全体の色調は緑のグラデーションだ。

 この作品だけでも本展の意味がある(もちろんその他の作品も充実の内容だ)。しかも嬉しいことには、昨日から毎週木・金の夜6時以降はチケット代が1,000円になった。知らずに行ったが、これには助かった。
(2012.8.2.三菱一号館美術館)
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