コンポージアム2012「細川俊夫の音楽」を聴いた。
1曲目は笙の独奏曲「光に満ちた息のように」(2002)。独奏は宮田まゆみ。演奏時間は約6分だが、そういうデジタルな時間では測れない悠久の感覚があった。アンティークなオルガンのような音。同時に複数の音がでる不思議。
2曲目はオーケストラ曲「夢を織る」(2010)。自身の見た夢に由来する曲。母の胎内にいて、羊水のなかで揺れ、やがて激しい苦痛をともなって生まれでる――その過程を描いた曲だ。サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル、シュテファン・ドールのホルン独奏によって初演された「開花の時」と似た発想だ。
母の胎内にいて――などといわれると、母胎回帰の願望を感じるが、曲そのものは、生まれでるときの苦痛の表現に重点が置かれている。デジタル的には割り切れない生理的な感覚だ。「開花の時」と合わせて、作曲者のパレットがまちがいなく増えたことが感じられる曲だ。演奏は準・メルクル指揮のN響。気合の入った演奏だが、「開花の時」のベルリン・フィルにくらべると、繊細さの点で一歩譲る。
休憩をはさんで3曲目は笙の独奏曲「さくら」(2008)。ハーモニーの部分に「さくらさくら」のメロディーが埋め込まれている曲。美しい曲だ。笙の音に耳を澄ましていると、こちらの耳も澄んでくる気がする。
4曲目はオラトリオ「星のない夜」(2010)。季節の循環のなかに1945年2月のドレスデン爆撃と同年8月の広島への原爆投下の悲劇がはさみ込まれる曲。こんなにアクチュアルな表出力をもつ作曲家だったのかと、認識を新たにさせられる曲だ。
もっともそれは勉強不足のせいでもあるだろう。前作のオラトリオ「ヒロシマ・声なき声」を聴いていれば、とっくに認識していたはずのことだ。その「ヒロシマ・声なき声」は今年10月にカンブルラン指揮の読響によって演奏される。今年は細川俊夫のアクチュアルな面を認識する年になりそうだ。
ソプラノ独唱は半田美和子。第8楽章「天使の歌」の激しい表現力に圧倒された。こんなに激しさを秘めた歌手だったのかと驚いた。メゾソプラノ独唱は藤村実穂子。合唱は東京音楽大学合唱団。そのメンバー(男女一人ずつ)が第3楽章「ドレスデンの墓標」で爆撃に遭った子どもたちの証言を朗読する。これが日本語だった。やはりドイツ語でないと――。
(2012.5.24.東京オペラシティ)
1曲目は笙の独奏曲「光に満ちた息のように」(2002)。独奏は宮田まゆみ。演奏時間は約6分だが、そういうデジタルな時間では測れない悠久の感覚があった。アンティークなオルガンのような音。同時に複数の音がでる不思議。
2曲目はオーケストラ曲「夢を織る」(2010)。自身の見た夢に由来する曲。母の胎内にいて、羊水のなかで揺れ、やがて激しい苦痛をともなって生まれでる――その過程を描いた曲だ。サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル、シュテファン・ドールのホルン独奏によって初演された「開花の時」と似た発想だ。
母の胎内にいて――などといわれると、母胎回帰の願望を感じるが、曲そのものは、生まれでるときの苦痛の表現に重点が置かれている。デジタル的には割り切れない生理的な感覚だ。「開花の時」と合わせて、作曲者のパレットがまちがいなく増えたことが感じられる曲だ。演奏は準・メルクル指揮のN響。気合の入った演奏だが、「開花の時」のベルリン・フィルにくらべると、繊細さの点で一歩譲る。
休憩をはさんで3曲目は笙の独奏曲「さくら」(2008)。ハーモニーの部分に「さくらさくら」のメロディーが埋め込まれている曲。美しい曲だ。笙の音に耳を澄ましていると、こちらの耳も澄んでくる気がする。
4曲目はオラトリオ「星のない夜」(2010)。季節の循環のなかに1945年2月のドレスデン爆撃と同年8月の広島への原爆投下の悲劇がはさみ込まれる曲。こんなにアクチュアルな表出力をもつ作曲家だったのかと、認識を新たにさせられる曲だ。
もっともそれは勉強不足のせいでもあるだろう。前作のオラトリオ「ヒロシマ・声なき声」を聴いていれば、とっくに認識していたはずのことだ。その「ヒロシマ・声なき声」は今年10月にカンブルラン指揮の読響によって演奏される。今年は細川俊夫のアクチュアルな面を認識する年になりそうだ。
ソプラノ独唱は半田美和子。第8楽章「天使の歌」の激しい表現力に圧倒された。こんなに激しさを秘めた歌手だったのかと驚いた。メゾソプラノ独唱は藤村実穂子。合唱は東京音楽大学合唱団。そのメンバー(男女一人ずつ)が第3楽章「ドレスデンの墓標」で爆撃に遭った子どもたちの証言を朗読する。これが日本語だった。やはりドイツ語でないと――。
(2012.5.24.東京オペラシティ)