Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

小泉和裕/都響

2012年05月15日 | 音楽
 小泉和裕さん指揮の都響の定期。1曲目はブラームスのピアノ協奏曲第1番。このところこの曲にひじょうに惹かれる自分を感じる。なぜだろう。ブラームスには珍しく、言いたいことがあり余って、曲の枠をはみ出しがちなところがある、そこに惹かれるのだ。若いころは鬱陶しかった。年齢とともに、そういう若さが羨ましくなった。

 ピアノ独奏はアンドレア・ルケシーニ。1965年イタリア生まれの中堅だ。拍子抜けするほど楽々と、肩の力を抜いて、明るい音色で弾く。ブラームスのこの曲でこういう演奏を聴くことは珍しい。第2番ならありそうだが。そういえば、ピアノ独奏が入る前のオーケストラの演奏も、シンフォニックではあるのだが、見通しのよさが保たれていた。

 このような演奏で聴くこの曲は、情熱があり余って、自分でも解決できないというふうではなくて、すっきりと、あるべきところに収まった音楽になった。だからひじょうに快い演奏だった。ゴツゴツした感じはなかった。だが途中から気持ちが離れた。単調に感じられた。

 アンコールにシューベルトの即興曲作品90-2が演奏された。どこまでも果てしなく連なる露の玉のように、三連符が滑らかに続く冒頭部分を聴いて、ショパンかと思った。もちろんシューベルトだった。けれどもシューベルトだと気付いても、シューベルトらしく感じなかった。シューベルトの素朴さとはまったく異なる地平に立つ演奏だった。

 振り返って、ブラームスの演奏もよくわかった。ブラームスも同じだった。シューベルトの場合は素朴さが聴こえてこなかったように、ブラームスの場合は若さゆえのぎこちなさが聴こえてこなかった。ひじょうに高度な技巧の持ち主であることはよくわかったが、その陰に隠れてしまうものがあった。

 後半はラヴェルの「ダフニスとクロエ」第1組曲と第2組曲だった。彫りの深い、シンフォニックな演奏だが、力任せに粗くやってしまう部分があった。それが意外だった。3月~4月にインバルとやって、今はその重しがはずれた反動だろうか。なにか緩みが感じられた。

 それにしてもこの曲は、第2組曲だけとか、全曲版ならともかく、第1組曲と第2組曲という形はいかにも中途半端だ。こうして演奏する必然性はあるのだろうか。

 個々のプレーヤーでは、東京シティ・フィルから移籍したオーボエの鷹栖美恵子さんが健闘していた。なによりだ。
(2012.5.14.サントリーホール)
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