Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

野見山暁治展

2011年11月16日 | 美術
 今90歳の画家、野見山暁治(のみやま・ぎょうじ)が、本年6月に東日本大震災の被災地を訪れ、そこで見た光景をもとに「ある歳月」を描いた。ブリヂストン美術館で開催中の「野見山暁治展」に出品されている。

 野見山暁治は1920年12月生まれ。今もなお旺盛な制作活動を続けている。本展はその軌跡をたどったもの。一人の画家の人生の重みが感じられるとともに、第二次世界大戦から戦後社会、そして東日本大震災までの日本の歩みがその背景に感じられる展覧会だ。

 本展は4章で構成されている。第1章は「不安から覚醒へ―戦前から戦後へかけて」。この章では、東京美術学校を卒業して満州に出征し、病気で帰国した後に敗戦をむかえ、焼跡の郷里、福岡に佇むまでをたどっている。1943年の「妹の像」は出征直前の作品。緊張した力作だ。1946年頃の「焼跡の福岡県庁」は喪失感のただよう暗い作品。画家の心象風景が伝わってくる。

 第2章の「形をつかむ―滞欧時代」は1952年~1964年までのパリ時代をたどっている。黒いギザギザの描線と鮮やかな色彩が、ベルナール・ビュフェ(1928~1999)を想わせるみずみずしい感性を感じさせる。最初の才能の開花の時期だ。1960年の「風景(ライ・レ・ローズ)」は、妻の陽子が29歳で急逝した後、傷心から再生する過程の作品。

 第3章の「自然の本質を突きつめる―90年代まで」は、帰国してからの作風を追っている。ここは3段階から成っている。まず、唐津湾を望むアトリエで制作された、海と空をテーマとする作品を中心とした作品群。次は後年の抽象的な作風の萌芽が感じられる作品群。最後はその抽象的な作風が力強く結実する作品群。

 この最後の段階にふくまれる「ある証言」(1992年)は、本展でもっとも感動した作品だ。キャンバスを2枚並べた横長の作品で、荒涼とした大地の上に、魚のような巨大な口が開き、空にとどろきわたる声でなにかを言っている。それはなんの証言か。

 第4章の「響きあう色彩―新作をめぐって」は2000年代に入ってからの作品群だ。抽象的な作風は自由を獲得し、なにものにもとらわれない即興的な作品群だ。このなかに冒頭の「ある歳月」(2011年)がある。画面下部にはすべてを飲みこむ津波のような白いしぶきがあり、上部には空中に浮遊する失われた魂のような名状しがたい形態がある。
(2011.11.15.ブリヂストン美術館)
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