Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

被災地

2011年05月09日 | 身辺雑記
 週末には宮城県大崎市に行ってきました。親せきの家が東日本大震災で被害をうけ、建て替えが必要なため、仮の住居に引っ越すことになりましたが、昔からの農家なので、物があふれ、義理の妹が悲鳴を上げてしまったからです。連休前半には義理の兄が手伝いに行き、後半の週末にはわたしが行ったというわけです。

 実際に行ってみると、古い母屋は大震災(当地は震度6強)と液状化のため、ガタガタになり、廃屋同然になっていました。増築部分は、2階を支えるコンクリートの柱(1階は米の倉庫と作業スペースで、2階は住居)がへし折れていました。また納屋の壁のブロックが崩れていました。蔵は土台がはずれて傾いていました。

 土曜日の午前中に着いて、夕方まで片付けの手伝い。お風呂は使えないので省略。夕食後、義理の弟と飲み始めました。宮城の銘酒を2種。その美味しかったこと! 夜はぐっすり眠りました。

 翌日の早朝には、被災地に連れて行ってくれました。被災地は、日中は車両が多く、忙しいとのことで、朝5時に出発。海岸に近づくと、田んぼには小舟が横転し、家の屋根が漂着し、がれきが点在していました。義理の弟は救援活動をしているので、何度か来たことがあり、「これでもずいぶん片付いたんだ」と言っていました。

 海岸沿いを行くと、集落はいずれも壊滅していました。そのなかのひとつに、がれきの撤去に手が付けられていない集落がありました。道だけは開けられていましたが、その両側はがれきの山でした。がれきの上には、波の上の船のように、家が乗り上げていました。横倒しになった家もありました。まるで津波の瞬間のようでした。

 がれきの山を見ていると、その下にはまだ人がいるのではないか、という気になりました。大震災の直後に、懸命に生存者を捜索し、あるいは遺体の収容につとめた人たちの気持ちがわかる気がしました。生き残った方々が、位牌や写真をさがす気持ちも、わかる気がしました。

 こういう惨状にもかかわらず、どこも新緑がきれいでした。桜も咲いていました。驚くべきことには、根こそぎ倒れた桜の木から、花が咲いているのが何本もありました。最後のご奉公でしょう、満開といってもよいくらいです。感動的な光景でした。

 邪魔になってはいけないので、早めに引き上げました。まだ7時前でしたが、被災地に向かう、「災害派遣」と書かれた自衛隊の車両に何台もすれちがいました。
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