Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

インバル&都響(Bシリーズ)

2011年05月12日 | 音楽
 都響の5月定期はプリンシパル・コンダクター(常任指揮者)のインバルの指揮。インバルは3月定期にも予定されていたが、都響の側で演奏会を中止した。事情は知らないが、なにしろ当時は、上野の山のお花見についても、いかがなものかと自粛を求める某知事がいた。都響はその意向を汲んだものと、傍目には見えた。

 昨日のBシリーズのプログラムは次のとおりだった。
(1)シューベルト:交響曲第5番
(2)R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

 こういうプログラムだと、1曲目のシューベルトは「風にそよぐ羽毛のような」軽い音で演奏し、2曲目のシュトラウスはボリューム感たっぷりの音で重厚な演奏をするのではないかと予想してしまう。

 けれどもインバルはちがっていた。シューベルトから、全力投球の演奏。太い音で、インバルらしい強いアクセントをつけ、手加減しない演奏。編成は小さいが、低弦もずしんと入ってくる。わたしは第2楽章でA-B-A-B-AのBの部分、転調して陰りをおびる部分の濃い表現に、ことさら惹かれた。

 シュトラウスは、これはもう予想どおりというか、大編成で巨大な音がした。都響の音の大きさは、在京のオーケストラのなかでも屈指だが(これは意識してそう努めているのかもしれない)、先々代のベルティーニの時代には、濁ることもあった。インバルの時代になって、そういうことはなくなった。

 押しも押されもせぬ堂々とした演奏。こわもての演奏、といってもよいくらいだ。艶麗な表現に事欠くものではないが、しなやかな柔構造できかせる演奏ではなく、剛直な演奏。プロフィールによれば、インバルは今年75歳だ。これがインバル晩年の様式かもしれない。マーラーの第2番「復活」のときにも少し感じた要素だ。もっとも第3番や第4番では感じなかったけれども。

 ヴァイオリン・ソロは矢部達哉さん。これも見事なものだった。よく鳴る音と、もたつかず、多彩な表現による演奏。長大なソロがあっという間に終わった。

 いつもそうだが、今回も「英雄の戦場」の部分では、笑ってしまった。あの戦いの描写は、まったくもってカリカチュア的だ。これはシュトラウス一流の諧謔性かもしれない。そして、この部分があるからこそ、最後の「英雄の引退と完成」のシリアスな音楽が、意外感をもって迫ってくる。今回もこの部分の演奏はひじょうに集中度が高かった。
(2011.5.11.サントリーホール)
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