Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

トリスタンとイゾルデ

2011年01月08日 | 音楽
 新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」。1月4日と7日の2回の公演をみた。結果的には2回みてよかった。デイヴィッド・マクヴィカーの演出がよくわかった。

 第1幕への前奏曲が始まると、紗幕のむこうにオレンジ色の大きな円が上ってくる。海を照らす太陽だ。同色のギザギザの線が、舞台を囲むように横に走っている。太陽に照らされた水平線。だが位置がちょっと上すぎる。なにかの裂け目のようにもみえた。

 第2幕に入ると、ギザギザの線は青色に変わった。そこで気がついた。これは一種の象徴なのだ。第1幕ではトリスタンとイゾルデの「秘めた愛」と「現実」との裂け目。第2幕の冒頭では、早く会いたいのに、会えない「もどかしさ」。やっと会えた2人の「愛の二重唱」になると、ギザギザの線は消えた。2人を引き裂くものがなくなったわけだ。マルケ王の一行が登場すると、再び現れた。今度は白色。冷たい無機質な白色。

 第3幕の冒頭では再び太陽が浮かんでいる。今度は真っ赤な夕陽だ。トリスタンの傷口から流れる血のようだ。ギザギザの線は水平線。これも真っ赤だ。やがて息を吹き返したトリスタンが苦渋のモノローグを始めると、色が消え、モノクロームの世界になる。イゾルデが到着すると再び真っ赤になる。愛の死に至って、ギザギザの線が消えた。愛の二重唱のときと同じ。夕陽は海に沈む。第1幕の幕開きの逆回し。

 この演出は愛する2人の伝説をひたすら語ったもの。そこにいるのがトリスタンその人であり、イゾルデその人であると、信じられる気分になった。個々の場面では、愛の二重唱が美しかった。今までみた演出のなかで、これが一番美しかった。

 大野和士さんの指揮は、パワフルで、しかもシャープだった。オーケストラの海に浮き沈みする諸々のモチーフを、すべてきかせてもらった気がする。個別の部分では、第3幕のトリスタンの苦渋のモノローグの末尾の、イゾルデの幻影をみる音楽が、いかに甘美であるかを教えてもらった。

 その指揮は4日と7日では、そうとうちがっていた。4日はテンションが高く、オーケストラも歌手も煽っていた。7日はしっとり落ち着いたアンサンブルを形成し、息の長い歌い方をしていた。私の好みは7日のほう。

 トリスタン、イゾルデ、クルヴェナール、ブランゲーネを歌った歌手たちは、たいへんな高水準。イゾルデのイレーネ・テオリンは、4日は絶叫しがちだったが、7日は抑えていたので安心してきけた。マルケ王を歌った歌手は、声はあるが、陰影に乏しかった。
(2011.1.4&7.新国立劇場)
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