Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ワルキューレ

2009年04月13日 | 音楽
 新国立劇場でワーグナーの「ワルキューレ」をみた。先月の「ラインの黄金」に引き続き、キース・ウォーナー演出によるプロダクションの再演第2弾だ。
 実は私は、「ワルキューレ」は2002年の初演をみていない。あの頃は何をしていたのか――仕事で余裕がなかったのか。無理をすれば行けたはずだが・・・。
 ともかく、今回初めてこの舞台をみた。

 まずは演出から。意外なくらいに正統的で、簡明かつ的確、新味を狙わないで、ドラマのポイントを忠実に押さえていく演出だ。奇抜さはむしろ舞台美術が担っていた。たとえば第1幕の森の中のフンディングの小屋。粗末なテーブルと2脚の椅子が異常に大きくて、小屋のサイズと均衡がとれない。そのアンバランス感が私たちを非日常的な空間に導く。
 以下、第2幕、第3幕とも、ありきたりの舞台美術ではない。欧米でよく使われる表現を借りるなら、演出、装置・衣装、照明を担当したチームの「勝利」といってよい。

 演出についてさらにいえば、そもそもこの演出は、4部作全体が没落した神々の長ヴォータンの回想――半ば廃人のようになったヴォータンが無気力に記録映像をみている――というコンセプトだが、それとの関連でひじょうにうまく処理されている場面が2つあった。
 ひとつは、第2幕の中間でヴォータンが愛娘ブリュンヒルデに過去のいきさつを語る場面。そのときヴォータンは、映写機のスイッチを入れ、観客からはみえないスクリーンに映像が投影されているという設定だった。なるほど、これはうまいと感心した。
 もうひとつは、最後の魔の炎の場面。ブリュンヒルデをベッドに眠らせたヴォータンが映写機の前に戻り、スイッチを入れると、ベッドの四囲に炎が燃え上がる。これは、ドラマの幕切れで全体コンセプトに戻るとともに、すべてが意のままにならないヴォータンではあるが、まだ自らの意思を失っていないことを表していた。

 歌手は、6人のソリスト(外国勢)も8人のワルキューレ(日本勢)も、総じて健闘していた。
 オーケストラは東京フィル。先月の「ラインの黄金」のときよりも締まっていて、努力のあとが感じられた。
 指揮はダン・エッティンガー。癖というほどのことではないが、たとえば第3幕の前半でブリュンヒルデとジークリンデが語るときに出てくる<愛による救済の動機>のような重要箇所で、わずかにテンポを落として聴衆に印象付ける手法が目についた。師匠格のバレンボイムゆずりの分かりやすい音楽作りだが、今後大成するためには、この手法は控え目にしたほうがよい。

 上演全体としては、これは世界の主要都市東京が、トーキョー・リングとして真価を問うことのできる舞台だと思った。
(2009.04.12.新国立劇場)
コメント
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